韓国人とブラック・ミュージック


最近また『冬のソナタ』にはまっている。
たまたま1ヶ月ぐらい前に
テレビで再放送をやっているのを見かけたからなのだが、
自分が韓流ドラマを観るようになるなんて以前は全く考えられなかった。
2007年の春、家族でテレビを囲んでチャンネルを回していたら
JCOMのオンデマンド(有料放送配信サービス)のページが出てきて、
初回だけ無料で観賞できるサービスがついていた『冬のソナタ』を
子どもが「試しに観よう!」と言いだしたのがそもそもの始まりだ。
 
このドラマが日本で初めて放映されたのは2003年4〜9月のNHKBS2で、
それを観た視聴者から再放送の要請があり、年末に再度放送、
そして地上波でもやって欲しいという声が多数あがったため
2004年の4月から8月にかけてNHK総合で放送された。
その結果、主人公の二人を演じたペ・ヨンジュンとチェ・ジウは
日本で爆発的な人気を博し、「冬ソナ」「ヨン様」なる言葉が流行し
それから韓流ブームが巻き起こったのである。
 
しかし冬ソナが流行った当時、私はヨン様に目もくれず
B.B.キングのライヴを観るためにシカゴまで足を運んでいた。
ヨン様の事は「微笑みの貴公子」という見出しで
テレビや女性誌で度々取り上げられ、
そのスマートで気品のある容貌が
日本女性の心をわしづかみにしている事は知っていたが、
ヨン様がなぜそんなにいいのか私には理解できなかった。
 
ところが、冗談半分で冬ソナの第一話「出会い」を観たら、
あまりにもヨン様の声や雰囲気が素敵だったので
第一話が終わった途端に車を走らせ、レンタルショップで
冬ソナ全巻を借りてきて(ブームが去った後だったので
誰も借りている人がいなかった!)一気に最後まで観てしまったのである。
 
ペ・ヨンジュンは当時29歳だったにもかかわらず
黒い詰襟を着て、エリートだが不良っぽさもあわせ持つ
陰のある高校生、チュンサンを見事に演じていた。
このドラマは、交通事故で死んだと思っていたチュンサンが
10年後、名前や性格、外見も違うアメリカ育ちのミニョンとして
初恋の女性・ユジンの前に現れ、
彼女は幼馴染の男性と婚約していたにもかかわらず、
「似ている」事から心を揺さぶられていき、
やがてはお互い恋におちていくというラヴ・ストーリーだ。
実はミニョンとチュンサンは同一人物だった事が後にわかり
二人は様々な障害を乗り越えながらも最後は永遠の愛を手に入れるのだが、
そこまで辿りつくのにハラハラ・ドキドキさせられて
ユジンが涙を流せば私の涙線も瞬く間にゆるみ、
一緒に涙を流しながら二人の恋に一喜一憂したのである。
 
ヨン様の魅力は整った容姿だけでなく、低く優しげな声と
さりげなくカッコいい立ち居振る舞い、逞しい身体、
そして包容力のある雰囲気だ。
一方恋人のユジンを演じたチェ・ジウは、美しい黒髪をたなびかせ、
清楚な顔立ちに透き通るような肌、
キュートな口元がとても魅力的で、笑顔がきらきら輝いていた。
 
『冬のソナタ』を観ていて気がついたことがある。
それは、男性が感極まって目を潤ませたり、
ポロっと涙を流すシーンがあまりにも多いこと。
韓国の男性は涙を流すことに少しも違和感や恥ずかしさを感じていない。
涙のあふれ方も自然で、時には流しすぎて監督からもっと感情を
抑えるように指示が出ることもあるらしい。
情が深いからできることなのだろう。
 
それとは逆に、日本人は感情を身体で表現することに慣れていない。
長らく「男は涙を見せるもんじゃない」
「素直に感情を表現することはみっともない」と教育されてきたため
知らず知らずのうちに感情を抑制することを覚えてしまったのだろう。
涙を流すことは人間が神様から与えられた贈り物なのに
日本では男性が泣くことをタブー視する風潮がいまだにある。
 
私は冬ソナによって韓国の文化・習慣に興味を持つようになり
この3年間でおよそ30本の韓国ドラマや映画を観てきた。
やはりどのドラマでも男性が涙をハラハラと流し、
ここぞという時に女優たちは大粒の涙をポロポロ流すのである。
私がお勧めする韓国ドラマの観方は、日本語の吹き替えではなく
必ず字幕で観るという事。
韓国人は男性、女性共に声質に魅力がある人が多いからだ。
 
冬ソナの他に好きな韓流ドラマがある。『ファン・ジニ』だ。
私はこのドラマを観てヒロインを演じたハ・ジウォンのファンになった。
ファン・ジニ(チニ)は李氏朝鮮時代に実在した妓生
(キーセン:芸妓兼高級娼婦)の名前で、
彼女をモデルにしてこのドラマが作られた。
セリフに名言名句が多く、豪華で洗練された衣装や髪飾りも見所の一つ。
最も衝撃を受けたセリフはチニが水揚げする前に
師匠ペンムと交わしたもの。
「思いを胸に秘め、悲しみを笑える時まで舞いつづけるのだ」
「妓生の一番の友は何ですか? お酒ですか? 愛ですか? 芸ですか?」
「・・・違う。苦痛だ・・・・・」
ペンムの達観したような余韻を持たせたセリフ回しが忘れられない。
 
苦痛を友として生きなければいけない妓生たち。
そのはかなくも悲しい人生を熱演したハ・ジウォン(チニ)や
キム・ヨンエ(ペンム)、キム・ボヨン(メヒャン)の話し方やシャウト、
表情は観る者をこれでもかと惹きつける。
彼女達は心の奥に溜めこんでいた激しい感情を、
一気に外へ放出させるので、こちらは魂を揺さぶられて胸が熱くなる。
その瞬発力や表現の仕方は
ズバリ私がブルースに感じていたものと同じだった。
彼らの魂にはアメリカ黒人の魂を連想させる何かが宿っている。
それはいったい何か?

その何かを探究していくうちに、朝鮮民族の魂には
「恨/ハン」という感情が深く刻まれていることがわかった。
「恨/ハン」とは、日本で言う「恨み」「辛み」といった単純なものではなく、
「諦め」を伴う「悲哀」のような複雑な感情らしい。
それは彼らが辿ってきた歴史と深い関係がある。
朝鮮民族は、長い間異民族による侵入や服従を余儀なくされ、
常に心を抑圧されて、悲しみの涙を流してきた。
そのため、「恨み/ハン」が」心に染み込み、魂に刻まれたのだ。
韓国の伝統音楽の一つである「パンソリ」には「恨/ハン」が
歌い込まれていると聞く。
彼らが味わった苦しみは、奴隷としてアフリカから連行された黒人と
その子孫が受けた苦痛や屈辱・抑圧と重なるものがあったのだ。
 
そんな事を考えていたら、ある男性のことを思い出した。
学生時代、彼の歌が入ったテープを偶然友人が
聴かせてくれた時のことである。
歌にグルーヴ感があり、当時黒人のように歌える日本人を
探していた私にとってまさに「鐘が鳴った」瞬間だった。 
声質はハスキーで声量もある。英語の発音もバッチリ。
そしてR&Bを歌う上で最も大切な後ノリのアフタービートが
自然と身体にしみこんでいるようだった。
あとはソウルをもっと歌に注ぎ込めば、みんながあっと驚くような
歌手になれるかもしれない。そう確信した。
日本人のリズム感も捨てたものじゃないと勝手に喜んでいたのだが、
私の大げさな話を横で聞いていた友人がポツリと言った。
「彼は日本人じゃないんだよ。在日韓国人なんだ・・・・・」
 
その時私は「本当に?」と驚きはしたものの、
その事実を深く掘り下げて考えることはしなかった。
彼が韓国人だから歌が上手い、リズム感があるという図式は
頭の中に形作られることもなく、そのまま時は流れていった。
しかし韓流ドラマが発端となり、その歴史を辿っていくうちに
急に彼の記憶がよみがえってきて
もしかしたら韓国人の中には黒人のようなノリで歌える人が
多いのではないかと思うようになったのだ。
早速Youtubeを開いて韓国人のR&Bシンガーを検索してみたら
彼の歌を初めて聴いた時の感動がよみがえってきたのである。
 
以下参考までに彼らの歌を紹介する。
 
韓国のヘリテージ・マス・クワイアが歌う『My Desire』

ゴスペル界の寵児、カーク・フランクリンがフレッド・ハモンド
と歌った『My Desire』(マイ・ディザイア)をカヴァーしたもの。
バック・コーラスのノリがいい。
韓国人の魂の熱さを感じる。
リード・ヴォーカルがアフター・ビートのリズムを自分のものにしている。
身体の内側をグルーヴさせないと歌もグルーヴしないので、
この人の歌い方から察するに、黒人が身体のどこに力を入れて
どこを緩めて歌っているかということも知っている。

このビデオは、アフリカ系アメリカ人の友人が見つけて
私に送ってくれたものである。
彼女は「熱いソウルを感じる。素晴らしい!!」と感激していた。
  
  

韓国のブラウン・アイド・ソウルが歌う『End Of The Road』

私の大好きなヴォーカル・グループ、
Boyz II Men/ボーイズIIメン
『End Of The Road』(エンド・オブ・ザ・ロード)をカヴァーしたもの。
左から二番目の人の声に厚みがあり、歌唱力もある。
黒人特有のうねりのある歌唱法のツボを押さえている。
この人の歌い方は、在日韓国人の友人の歌い方にそっくりだ。
お腹から声を出していて声量がある。
英語の発音がスムーズで違和感がない。
リズム感がいいからメロディを自由自在に操れる。


Boyz II Menの『End Of The Road』 feat. Michael Jackson(1993)


日本のゴスペラーズとスクープ・オン・サムバディが歌う『End Of The Road』
 

一生懸命なりきって歌おうとしている。演奏がいい。
この音楽に対するリスペクトを感じる。
日本人がR&Bを歌うのに苦労するのは、
日本語の発音が英語と全く違う上に、本来持っているリズムが
オン・ビート(これは白人も同じで、表で拍子をとる)だから。
例えば、「ズン チャ ズン チャ」というリズムがあったら
「ズン」で強くアクセントをきかせるのがオン・ビート。
黒人はアフタービート(オフ・ビート)で
「チャ」という裏の部分にアクセントをおいて拍子をとる。
ノリで言ったら、日本人は縦ノリで黒人は横ノリ。
生来備わっているリズムを外して、
いかに横ノリのアフター・ビートを手にいれるか。
それがR&Bやジャズを歌う日本人にとって大きなカギとなる。
 

韓国のオ・ヒョンランが歌う『少しだけ愛したなら』

この曲は『冬のソナタ』で、チュンサン/ミニョン(ヨン様)に失恋した
チェリンが同じ境遇にいるサンヒョクをバーに呼び出し、
「失恋した者同士、楽しくやろう」と酒をあおる場面でBGMとして4分間流れる。 
プライドの高いチェリンが泣き崩れ、それとは反対に感情を押し殺して
チェリンをたしなめるサンヒョクの姿が痛々しい。
まさにブルースが聞こえてきそうな場面だ。
最初私は二人の演技に気をとられていたが、
いつのまにか意識がせつないメロディとはかなげな女性の声に移り
「何ていい曲なの・・・誰が歌っているの?」と思うに至った。
歌い方から察するに、この女性はブラック・ミュージックを
聴きこんでいるはずである。
オ・ヒョンランの歌声を聴いていたらメアリー・J・ブライジを思い出した。
それだけ、オ・ヒョンランの歌声は深遠で、心に訴えかけてくる。

 

<2010・4・21>






Winter Sonata/冬のソナタ

























Winter Sonata/冬のソナタ
























Hwang Jin Yi/ファン・ジニ