エリック・クラプトン〜ブルースへの熱き想い
 

クラプトンの「FROM THE CRADLE」というアルバムを聴いた。
これはデビュー30周年の翌年、1994年に発売されたブルース・アルバムである。
アルバムのタイトルは「揺りかごから墓場まで」という意味。
「死ぬまでブルースを歌い続ける」という彼の強い意志がそこに感じられる。
 
収録されている曲のカッコよさと凄まじさに感動したため、
クラプトン・ファンの音楽仲間にメールを出した。
早速お返事をいただく。
 
「俺もあのアルバムは大好きだ。理屈なんかいらない。カッコいい!!
おととい(2003年12月10日)、トビ達とクラプトンのライヴを観に武道館に行ってきた。
クラプトンと言えば、『酒とブルースとコカイン<曲>』というイメージだけど、
やっぱりそう思ったよ!」
 
「コカイン」という曲は、1977年に発売された「SLOWHAND」に収録されていて、
ギタリストなら一度はコピーしてみたいと思う、渋いリフから始まる。
また、このアルバムには、密かに禁断の恋心を抱き続け、その仲が公然となった
パティ・ボナム<当時、親友ジョージ・ハリスンの妻>へのラヴ・ソング
「ワンダフル・トゥナイト」も入っている。
 
しかし、「FROM THE CRADLE」でブルースを歌うクラプトンは、
「コカイン」や「ワンダフル・トゥナイト」、「チェンジ・ザ・ワールド」、
「いとしのレイラ」といったヒット曲を歌うクラプトンとは異質だ。

最初の曲、リロイ・カーの「ブルース・ビフォア・サンライズ」を聴いた時、
クラプトンの声があまりにも張り詰めているので驚いた。
彼のスライド・ギターは炸裂し、猛烈なパワーがみなぎっている。

次の「サード・ディグリー」や「リコンシダー・ベイビー」では、
クラプトンのブルースにかける熱い想いがとめどもなく押し寄せてきた。
マディ・ウォーターズの代表作、「フーチー・クーチー・マン」を歌うクラプトンからは、
「白人には本物のブルースは歌えないかもしれない。
黒人のブルース・マンにはかなわない。でも・・・この想いは強いんだ。」
という真摯な気持ちが伝わってきた。

そして「ファイヴ・ロング・イヤーズ」の2コーラスのギター・ソロを聴いた時、
私の心は完全に、クラプトンの熱き想いにノック・アウトされてしまったのである。
何かにとりつかれたかのようにギターをかき鳴らすクラプトン。
自分を音楽の道へと駆り立てた、原点ともいえるブルースへのたぎる想い。
「これは本物だ!肌の色は関係ない。壮絶な想いは人種を超えたんだ・・・」
と率直に感じた。
バックのドラムやべース、ピアノ、ハープ、ギターが一体となってそれを盛り上げる。

2000年に発売された「RIDING WITH THE KING」では、
クラプトンが敬愛するブルースの大御所、B.B.キングとアルバムを制作。
ジャケットの写真がとてもいい。
クラプトンは穏やかな笑みをたたえてエスコート役になり、
後部座席でゆったり微笑むキング。
となりにはそれぞれ愛用のギターがたてかけられている。

2004年3月、3年ぶりにクラプトンのアルバムがリリースされるそうだ。
それは、伝説のブルース・マン「ロバート・ジョンソン」のカヴァー・アルバムらしい。
ロバート・ジョンソンはクラプトンの最大のアイドル。
彼が「ブルースブレイカーズ」時代にジョン・メイオールにすすめられて、
初めてヴォーカルをとったのが、
ジョンソンの「ランブリン・オン・マイ・マインド」である。

私はこの新作アルバムについて知った時、クラプトンの次の言葉を思いだした。
「僕がロバート・ジョンソンに寄せる想いはだれにも理解できないと思う。」

このアルバム制作は、長年クラプトンがあたためていた夢だったのだろう。
15歳ぐらいの頃、ジョンソンの音楽に出会い、その音楽に傾倒していったクラプトン。
それから幾多の喜びや悲しみを経験し、
波乱に満ちた人生を送ってきたクラプトンの心にいつもあったものは、
ブルースそしてロバート・ジョンソンへの想いだった。
ようやく機が熟し、カヴァー・アルバムが発売されるのかと思うと、感無量である。
ジョンソンへの揺るぎない愛情は、きっとこのアルバムで結実されるにちがいない。
これが「男のロマン」なのかもしれないと思った。
 
★ブルースこそ最大のモチベーションでありインスピレーションである。
 
★自分にとってもっとも大切なことは、
 音楽=ブルースに対して誠実に生きているかどうかであり、
 売れるかどうか、受けるかどうかは、ほとんど気にしていない。(2001年頃のインタビューより)
 <エリック・クラプトン>

 エリック・クラプトン:ERIC CLAPTON
1945年3月、イギリス・サリー州リプリー生まれ。本名、エリック・パトリック・クラプトン
母が16歳の時、イギリスに駐屯していたカナダ人兵士との間に生まれる。
母は2年後別の男性と結婚。祖母とその再婚相手に育てられる。
後に、両親だと思った人が祖父母、姉だと思った人が母親、兄だと思って
かわいがってくれた人が叔父であるとわかり、複雑な少年時代を送る。
13歳の時、祖父母からアコースティック・ギターを誕生日に買ってもらう。
4年後にはエレキ・ギターをプレゼントされ、仲間達とバンド活動を始める。
「ヤードバーズ」「ブルースブレイカーズ」「クリーム」「ブラインド・フェイス」「デレク&ザ・ドミノス」
などのバンドを経て、1974年頃からソロ活動に入る。
おそいかかる苦難から、クラプトンは一時期、ドラッグやアルコールに依存していたが、
それらも克服。
その後パティ・ボナムと同棲、79年に結婚したが88年に離婚。
91年にはローリとの間にできた愛息子コニーが4歳で事故死。
そのショックから徐々に立ち直り、亡き息子に捧げた「ティアーズ・イン・ヘブン」を発表。
ワールド・ツアーや恒例となったアルバート・ホールでの公演、
チャリティー活動も意欲的に行い、数々の賞を受賞。
2002年にメリア・マッケナリーと結婚。

<04・1・23>
※エリック・クラプトンのオフィシャル・サイトです→ http://www.claptononline.com