ブルース・イン・シカゴ


ブルースを聴くならシカゴとメンフィス。
この日本でも、自由な時間があったら
いつでもライヴ・ハウスに行ってブルースを聴きたい気分だ。
ブルースに限らず、 好きな音楽は一人でも聴きに行きたいと思っている。

音楽仲間ならいざしらず、音楽を介さず親しくなった友人に、
「ブルースを一緒に聴きに行きませんか?」
と誘ったことは今までの人生の中で、一度だけだった。
理解してもらえない音楽かもしれないし、
心のどこかで、本当にこの音楽を好きな人と一緒に聴きたいという思いがあったからだ。

その一度限りのお願いは、90年6月のシカゴでの出来事だった。
音楽にはあまり興味がないという先輩に、
「申し訳ありませんが、一緒に音楽を聴きに行っていただけませんか?」
と頼んだことがある。
どんな音楽かと聞かれて、「ブルースです。」とはっきり告げた。

たまたま仕事で初めてシカゴに行くことができ、
日本を発つ前から私の頭の中はブルースのことで一杯だった。
ホテルにチェック・インした後すぐ、フロントで、
ここ数日、出演するブルース・マンを何人か調べてもらった。
幸運なことに、次の日の夜「マジック・スリム」が、
あるクラブに出演するということがわかる。
でも、そこはホテルから遠く、辺鄙な場所らしい。
最初、一人で行くつもりだったが、
プライベートでシカゴに来ているわけではないので、躊躇した。
それに、「一人では出歩かないように」とも言われていた。
この時ほど自分が「男だったら・・・」と思った時はない。
憧れのシカゴに来て、ブルースを聴かないで帰ったら一生後悔する。
そう思って、フレンドリーな先輩に一緒に行くことをお願いした。
そうしたら思いがけず「いいわよ!」と笑顔で快諾してくださったのだ。
今でもその先輩には心の底から感謝している。

マジック・スリムは、苦難の時代を経て、
30年以上、シカゴのクラブで精力的にブルースを歌い続けているシンガーだ。
その先輩と行ったお店の中は、ほとんど白人のお客さんで占められていて、
日本人は私達二人だけだったように思う。
ビール1杯で本場のブルースが聴ける、それもマジック・スリム!
彼の出番が待ち遠しかった。
感情を巧みに歌声ににじませ、エフェクターを使わないパワフルなギターは
今でも忘れることはできない。
バンドは後ろにいて、彼だけが丸い台の上で演奏していた。
満足感に浸りながらホテルに帰り、ラジオをつけたら、
オーティス・ラッシュのブルース・ギターがすごい勢いで流れてきた。
「ここはシカゴなんだ・・・」と実感した。
翌日、今度は一人で、またそのお店にブルースを聴きに行った。

シカゴでブルースを一人で聴きに行く・・・
日本人で、かつ「女」であるということを考えたなら、
奇妙な東洋人と現地の人の目には映ったかもしれない。
一人で行動することに気負いがない、と言ったらそれは嘘になる。
でもそんな時はいつもエルヴィスのことを思い出す。
メンフィスのビール・ストリートにある酒場に、エルヴィスはデビュー前、
黒人に混じって一人でブルースを聴きに行っていた。
ブルース・マンたちと共演したこともあるそうだ。
それを思えば、何でもできる・・・
好きな気持ちがあれば何でもできるのだ・・・と強く思っている。


マジック・スリム:MAGIC SLIM
1937年ミシシッピ州グレナダ生まれ。本名、モリス・ホルト。
同級生のマジック・サムの後を追って、55年にシカゴに来るが、
どうしてもシカゴのクラブ・シーンになじめず5年ほど故郷へ帰る。
しかし、再びシカゴの土を踏み、70年代からは、
彼のバンド「ザ・ティアー・ドロップス」を率いてクラブを中心に活躍。

<03.11.28>