マーティン・ルーサー・キング・ジュニア@〜アトランタへの道


2007年4月7日午後1時、私はジョージア州アトランタに降り立った。
シカゴから飛行機で2時間。
太陽の光を燦燦と浴びながらズラリと駐機しているデルタ航空の飛行機を見て、
とうとうアメリカ南部にやって来たのだという感慨がグッとこみ上げてくる。

アトランタのハーツフィールド・ジャクソン国際空港は、
1日の平均離発着数が2600便という世界最大級の空港だ。
ハーツフィールドは1930年代に空港を整備して町おこしに尽力した白人市長。
ジャクソンは1996年のアトランタ・オリンピック誘致に成功した
アトランタ初の黒人市長で、二人の偉業を記念して名前が付けられたという。
空港から車で40分程走ったところにダウンタウンがあり、
私と叔母はエアポートと主要なホテルを結ぶシャトル・バンに乗って
宿泊先のマリオット・マーキースに向かった。

なぜ私はアトランタにやってきたのか。
それはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生家と
安息の地を訪ねたかったからだ。
キング牧師に興味を持つまでは、
彼に対して「公民権運動の指導者」「I have a dream」
「ノーベル平和賞」「暗殺」というキーワードしか思い浮かばず、
彼の人柄や思想に触れた本を読んだことは一度もなかった。

ところが、ジョージア州に住むJ君から
「キング牧師のメモリアル・サイトに行ってきました」というメールと共に
生家や墓地などを撮影した15枚ほどの写真が送られてきた時、
私は初めてキング牧師に関心を抱き、
いつかここを訪れたいと思うようになったのである。
あれから2年。
念願が叶い、ついに私はアトランタにやって来た。

ホテルに着いてロビーに入った途端、
目の前にそびえるガラス張りのエレベーターに唖然とする。
ホテルのど真ん中が吹き抜けになっていて、
そこを透明のカプセルが上がったり下がったりしていた。
我々はしばし童心に帰って、
「すごいね〜」と感嘆の声をあげながらエレベーターを見上げた。

私たちが泊まった部屋は14階にあって、
シックで落ち着いた内装とインテリアでまとめられており、眺めもすこぶるよかった。
窓の外には鉛筆のように尖った高層ビルが、
南部最大のビジネス街を象徴するかのように堂々と建っている。
『風と共に去りぬ』を連想させるような風景はどこにも見当たらない。

アトランタには2泊する予定だったので、
翌日キング牧師の生家に足を運ぶことにし、
着いた日は「アンダーグラウンド・アトランタ」というショッピング・モールに行って、
そこでお土産を買うことにした。

まず街を歩いて気が付いた事は、
至るところに「Peachtree/ピーチツリー」という文字を見かけたことだ。
ストリートやアヴェニュー、プラザ、センターの名前に
このかわいらしい名前が付けられている。
どうして"ピーチなの?"と思ってガイドブックを見たら
ジョージア州では桃の栽培が盛んな為、
随所に「ピーチツリー」の名が付けられたと記されていた。
何とその数は100にのぼるらしい。
州のニックネームも「Peach State」だそうで、
その徹底ぶりに日本との価値観の違いを感じた。
さしずめ日本人だったら、
「同じ名前をつけ過ぎると混乱が生じ、クレームの元になるからるからやめよう」
ということになるだろう。

ショッピング・モールに向かう途中に公園があり、
そこで男性数十人が集まって日なたぼっこをしていた。
見るからに暇そうで、道行く人をジロジロ眺めている。
アトランタは以前、全米で最も治安の悪い都市に選ばれたこともあったが、
街を挙げて治安の強化に取り組み、最近は凶悪犯罪もかなり減ったという。
制服を着た保安官らしき人が街を巡回している姿も何度か見かけた。
しかし、日本とは治安のレベルが違うので、
気を引き締めて歩くことにこしたことはない。
我々は人影が少ないひっそりとした公園をを足早に立ち去った。

「アンダーグラウンド・アトランタ」という名前の由来だが、
19世紀の半ば、この場所に鉄道が走っていて、
20世紀初頭に駅をまたぐ形でビルができ、
鉄道がビルの下を通る形になったので
「アンダーグラウンド/地下鉄」と呼ばれるようになったそうである。
その後、線路が郊外に移転してからはしばらく倉庫として使われていたが、
1989年6月に巨額の費用が投じられて、
街の中心部にふさわしい大型ショッピング・モールに生まれ変わったという。
地上階から地下2階まで所狭しとフード・コートや様々なショップ、
レストランが軒を連ねており、行き交う人の数も半端じゃなかった。

あるお店に入ったら、数人の若者が高価なスポーツ・シューズを
食い入るように見つめている場面に出くわした。
彼らのファッションはストリート系で、
既にカッコイイNIKEのバスケット・シューズを履いているにもかかわらず、
そのまなざしは真剣そのもの。
全身全霊を傾けてシューズを見ていると言っても過言ではない。
そこだけまわりの空気が張り詰めているのだ。
日本ではなかなか見られない光景だった。
「この集中力はいったい何なのか・・・?
やはり民族の違いからくるものなのだろうか・・・?」
と真面目に考えてしまった程である。

店内に陳列されているシャツやGパンはみんなビッグサイズで
カラフルなボーダーシャツが多かった。
叔母がハンガーにかかっているTシャツを手にとりながら
「あら、これいいじゃない! こういうの着てみたら?」と言ったので振り向くと、
ゴールドに光るガイコツの顔が数え切れないほどプリントされている
不気味なシャツだった。
「これ、スゴイ趣味だね。でも記念になるかもしれない・・・」と私は答えながら
一瞬買ってみようかという気持ちになったが、
この服を着た自分を想像したらあまりにも滑稽だったので買うのをやめた。

モールを歩いていたらサングラスを売っている出店があったので立ち寄ってみた。
私も叔母も飾られている派手なメガネを次から次へとかけながら
「わ〜これ似合わないね!!」
「これいいじゃない!」などと散々冷やかし合ったが
ふと気がつくと、そばでは気のよさそうなお兄さんがもみ手状態で待っていたので
今度こそは「記念に」と思って、
ラッパーがかけそうなサングラスを10ドルで購入した。
アトランタでは何度かそのサングラスにお世話になったが、
帰国してからは一度もかけていない。

100円ショップならぬ1ドルショップもあり、
モールの隅に簡易ステージを作ってアカペラで歌っている女性もいる。
このモールに来れば、とりあえず時間はつぶせるし何でも揃っているので
どこもかしこも若者や家族連れで賑わっていた。
もしかしたらここは彼らにとって唯一の娯楽施設なのかもしれない。

2時間程モールをブラブラし、
コーヒーショップで温かい飲み物をすすってから帰路につく。
4月と言ってもまだまだ風は冷たく、オーバーコートが必要な寒さである。
明日は午前中にオリンピック公園を散策し、いったんホテルに帰ってから
そこでタクシーを拾ってキング牧師国立歴史地区に行くことにした。
本当は旅の情緒を味わうために
地下鉄に乗ってキング牧師の元を訪れたかったが、
「この辺りは治安が悪いので
決して最寄駅から歩いて行ってはいけない」
とガイドブックに注意書きがしてあったので、やむをえずタクシーにした。

ホテルのレストランで簡単な夕食を済ませ、
その日は旅の疲れもあって早々とベッドにもぐりこむ。
目を閉じて明日のことを考えた。
頭の中はまだ見ぬキング牧師の生家やお墓参りのことでいっぱいだった。
まるでキング牧師が生きているかのように、
私は彼と対話できることを心から喜んでいたのである。


<08・4・11>




Martin Luther King, Jr.








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