マイケル・ジャクソン〜『マン・イン・ザ・ミラー』

            愛と情熱を体現したキング・オブ・ポップ
    


2013年11月、「松さん」という女性が私のホームページ宛てに
1通のメッセージを送って下さった。
バディ・ガイを検索していたら私の記事にたどりつき、
サイトを訪問して下さったという。
ここ数年、暢気な性格が災いして年に1、2回しか記事を更新していなかったので、
8年も前に書いたバディのライヴレポを読んで、わざわざ励ましのメッセージを
送って下さった松さんのご厚意をその時とても嬉しく思った。
 
ブルースに出会ったのが20歳の時。
それ以来ずっとこの音楽を愛してき たが、
ブルース好きの女性と知り合うチャンスはほとんどなかったので、
「きっとバディがこのご縁を取り持ってくれたんだわ!」と解釈し、
嬉々としてお礼のメッセージを書いた。
それから松さんとの交流が始まり、既に4回もお会いしている。
 
松さんはマイケル・ジャクソン(MJ)の大ファンで、
MJや黒人音楽を中心に据えたブログ
「FOREVER, MICHAEL」の管理人さんだ。
最近、松さんと黒人文化について意見交換をしていたら、
「MJについて記事を書いて下さい」というご要望をいただいた。
私はマイケル・ジャクソンを深く知っているわけではないが、
マイケルの歌やダンスがなぜ人々にエクスタシー(恍惚感)をもたらすのか、
彼のバックボーンである黒人文化に触れながら、
私なりの視点で皆さんにお伝えできるのではないかと思い、
喜んでお受けした次第である。
 
 
マイケル・ジャクソンは1958年8月29日、
インディアナ州ゲイリーの貧しい家庭に9人兄弟の5男として生まれた。
家族構成は両親と姉2人、兄4人、弟1人と8歳年下の妹ジャネット・ジャクソンで、
1964年に兄のジャッキー、ティト、ジャーメイン、マローンと共に
「ジャクソン5」を結成。13歳からソロ活動を開始している。
 
初来日は1973年4月22日で、
ジャクソン5のメンバーとして来日し、東京、広島、大阪公演の合間に
本格的なお茶会にも出席して日本文化を堪能したそうだ。
それから14年の月日が流れ、
マイケルは世界ナンバー・ワンのスーパースターとして、
自身初のソロ・ツアー「バッド・ワールド・ツアー」を日本から始める為、
1987年9月9日に来日する。
 
その頃学生だった私は、アメリカン・ポップスよりも
ルーツ・ミュージックであるブルースに傾倒していたので、
マイケル・ジャクソンにあまり関心を抱かなかった。
私が初めてマイケルに興味を持ったのは、
2009年6月25日に50歳という若さでこの世を去った時である。
 
彼の訃報がセンセーショナルにテレビで報道されるや否や、
私はマイケルのダンスをじっくり観てみたいという衝動にかられ、
ミュージック・ビデオやライヴ映像が入ったDVDを一度に6枚購入して
繰り返し観た。
そのうち彼の内面を知りたいと思うようになり、
「MOON WALK/ムーン・ウォーク マイケル・ジャクソン自伝 田中康夫/訳」と
「マイケル・ジャクソン 全記録 1958-2009 エイドリアン・クラント/著
吉岡正晴/訳・監修 」という本も買って読んだ。
 
数あるMJ映像の中で私をホットな気持ちにさせてくれるのは、
2004年に発売されたボックス・セット「アルティメット・コレクション」
の特典映像に入っていた「Live in Bucharest/ライヴ・イン・ブカレスト」
のオープニングから『Jam/ジャム』にかけてのパフォーマンスだ。
「デンジャラス・ワールド・ツアー」の一環として、
1992年10月1日にルーマニアの首都ブカレストでライヴを行った時のものである。
この特典映像は「ライヴ・イン・ブカレスト」として2005年に単独でリリースされた。
 
マイケルがブカレスト入りした時のルーマニアといえば、
1989年にチャウセスク政権がルーマニア革命で倒され民主化されて間もない頃。
身も心も解放され、
歓喜に沸いた人々がいかにマイケルの登場を待ちわびていたことか。
リマ・マリノウ・スタジオに集まった7万人の観衆は、
今か今かとテンションを上げてステージを見つめている。

突然、ゴージャスな衣装を身にまとったマイケルが
奈落からステージに飛び出してきた。
凄まじい歓声が一気に沸き起こる中、
サングラスをかけたマイケルは拳を太ももにつけたまま微動だにしない。
静止する事1分40秒余り。
これはLock(ロック)と言って、激し い動きから一転して動きをピタッと止める技術で
難易度は高い。
動かないマイケルはまるで英雄をかたどった銅像のように凛々しく、
「永遠の存在」として人々の目に映る。
 
観衆のボルテージは一気に上昇し、
マイケルはここぞというタイミングですばやく顔の向きを変え、
ゆっくりサングラスを外す。
その後スピンし、『Jam/ジャム』のイントロが流れて、
マイケルは堰を切ったようにリズムに合わせて動き出す。
いよいよ観衆の興奮はクライマックスへ。
 
マイケルにとって目つきや表情、雄叫び、利き手である右手の動きは
観客をエクスタシー(恍惚状態)に導く為の大切なアイテムである。
特に右手の指。
人差し指、くすり指、小指に白いテープが巻いてあるので目立ちやすい。
挑発的に動かしたり指差しすれば、よりダイレクトに感情を伝える事ができる。
 
バックに流れている曲『ジャム』はビートが強調されたファンクに
ラップがミックスされたファンク・ヒップホップだ。
ファンクという音楽のスタイルを確立させたのはジェームス・ブラウン(JB)である。
彼のDNAに脈々と受け継がれてきた
アフリカン・アメリカンの リズム/ビートに対する誇り、
そしてディープな魂(ソウル)がこの扇情的な音楽を生み出した。
 
ライヴ映像からもわかるように、男女問わず多くの観衆が
マイケルの圧倒的な存在感とインパクトに度肝を抜かれ、
トランス状態に陥っている。
私にとってマイケルの一番の魅力は、ソウルからあふれ出てくる情熱を
全身であますところなく完璧に表現している事だ。

なぜ人々はマイケルのパフォーマンスにこれほどまで
心を奪われ夢中になれるのだろうか?
音楽やダンスの才能があればみんなマイケルのように
大勢の人々を惹き付ける事ができるのだろうか?
答えはノーである。

まず、アフリカン・アメリカンのソウルは彼らだけのものであり、
他の人種のソウルとは質や深さが違う。
彼らのソウルの本質とも言うべき「情熱」は筆舌に尽くしがたい。
非常に深く濃厚で官能的である。
感動したり悲しい事があると目から自然と涙があふれるように、
彼らは諸々の感情を、泉のごとく湧き出る情熱と共に
音楽やダンスを通してストレートに放出する。
音楽やダンスはまさに彼らにとって身体の一部なのだ。

また、物事を繊細に感じとる能力を持っているので、
我々日本人と同じくらいその場の空気や行間を読むことができる。
奴隷制によって長い間抑圧され、苦しみを耐え抜いてきた彼らのソウルは逞しく、
心が解放されたときの快感やエクスタシーがどんな代物なのか本能で知っている。
だからこそ、彼らのパフォーマンスはグルーヴィーで力強く刺激的なのだ。

マイケルがお手本にしたアーティストはジェームス・ブラウン
とりわけジャッキー・ウィルソンから多くを学んだらしい。
彼らはどうしたら観客が興奮するのかを熟知していた。
マイケルはジャクソン5として活動していた6歳の頃から
全身全霊でパフォーマンスを行うビッグ・アーティストを
舞台の袖でじっと観察しながら自分をそこに投影し、
ステップや感情表現など最高のステージをする為のノウハウを
彼らのステージから学んでいったのだ。

では、なぜマイケルは唯一無二のスーパースターとして
今なお世界中の人々の心を掴んで離さないのだろうか?

それを可能にしたのは彼の心(Mind)だったと思う。
才能(Talent)、魂(Soul)、それを表現するためのスマートな身体(Body)
を生まれながらにして持っていたマイケル。
でもパフォーマーとして完全無比の状態になるには、
彼独自の心(Mind)の働きが必要だった。

幸いな事に、マイケルは幼い頃から人々を満足させ
いい気分にさせる事にこの上もない喜びを感じていた。
最高のパフォーマンスを観客に見せる事で彼らを恍惚状態にさせ、
様々な問題から解放させてあげたいと本気で思っていたのだ。
そのため、練習や体重管理を怠らず、ショーの後はすぐに反省会を開いて、
常に完璧なステージを行うことを心がけたのである。

流行に流されず自分の趣味嗜好に強いこだわりを持ち続けた事も、
「マイケル・ジャクソン」という強烈なキャラクターを作り上げる上でプラスに働いた。
彼が愛してやまないあの白い靴下は兄弟間では不評で、
仲の良かった兄のジャーメインでさえ、何とかしてマイケルに白い靴下を
やめさせようと躍起になったが、本人の意思は固く、
誰に何と言われようと履き続けた。
マイケルは話し方もソフトで身体も柳のようにしなやかだが、
自分の信念や信条を貫き通す強い心を持っていたのである。

彼のショーに対する直感も素晴らしかった。
マーヴィン・ゲイが『Let's Get It On/レッツ・ゲット・イット・オン 』
という熱烈な求愛ソングを帽子をかぶって歌ったら、
観客はマーヴィンが帽子をかぶる度に興奮するようになった。
それを観たマイケルも『Billie Jean/ビリー・ジーン』
ある特定の曲を歌う時に帽子をかぶるようになり、
ショーはますます盛り上がるようになっていく。

ここでマイケルの生い立ちについて少し触れておきたい。

マイケルは愛情深い母親と威圧的な父親、
そして互いにハグするような仲のいい兄弟姉妹に囲まれて育った。
彼が著した自伝によると、
クレーン操縦という本業の傍ら、バンド活動で副収入を得ていた父親が
ジャクソン5のコーチ兼マネージャーになり、練習が上手くいかないと
息子達を容赦なく殴ったりムチやベルトで叩いたという。
中でも一番酷い目に合ったのはマイケルで、
父親は侮辱的な言葉を彼に浴びせては彼を傷つけ怒らせた為、
マイケルは小さな身体で父親に歯向かい、こっぴどく殴られるはめになった。

もしも母親の愛がなかったら、「マイケル・ジャクソン」というヒーローは
この世に生まれていなかったかもしれない。
母親のキャサリンは9人の子どもをそれぞれ一人っ子のように可愛がり、
優しく励ましな がら心を尽くして育てあげた。
子ども達に音楽の才能があるのをいち早く見抜き、
それを根気強く夫に言い聞かせたのもキャサリンだった。

過酷極まりない練習を彼らが乗り越える事ができたのは、
母からの無償の愛と音楽に対する愛があったからだろう。
マイケルの万人に向けられた無限の愛は、
他でもない母親から受け継いだものである。
『Heal The World/ヒール・ザ・ワールド』を歌う時のマイケルを観ていると
心が癒され目頭が熱くなる。
彼のハートが本物の愛であふれているからだ。

完璧と理想を追い求める彼の性格はアルバムやビデオ制作にも生かされる。
アルバム「Thriller/スリラー」は1982年12月1日にリリースされ、
全米チャートで37週に渡って1位をキープ。
発売から1年余りで1億4000万枚以上を売り上げて、
史上最も売れたアルバムとしてギネス・ワールド・レコーズに認定された。
1984年のグラミー賞では8部門で入賞を果たしている。

アルバム「スリラー」の中から発表された3本のミュージック・ビデオ
のコンセプトは全てマイケルがアルバムのために考えたもので、
それらは彼の豊かで秀れた想像力の賜物だ。
彼は音楽とダンスを融合させた短編映画のようなビデオを作るために、
最高のカメラマン、最高の監督、最高の照明スタッフを探した。
エピック・レコードが用意した資金では『ビリー・ジーン』しか制作する事ができず、
彼は『今夜はビート・イット』と『スリラー』の制作に自分のお金をつぎ込んだ。

マイケルが1983年5月のモータウン25周年記念コンサートの
『ビリー・ジーン』で初披露した「ムーン・ウォーク」

ゲットーに住む黒人の子供たちが街角で作り出した
「ポッピング」というタイプのステップから生まれたという。
マイケルがリスペクトするダンサーの一人、フレッド・アステアは、
このショーを観た後、「君はとんでもないダンサーだな」と言って
マイケルが赤面するほど褒め称えたそうだ。

『今夜はビート・イット』ではリアルな世界を描く為に、
本物のストリート・ギャングをファースト・シーンで起用した。

『スリラー』のビデオ制作にかかった費用は約1億2000万円で、
1983年12月にMTVで初めて公開される。
1999年のMTV投票では、それまでに作られた偉大なビデオ100に選出され、
1位に輝いた。

このように世界ナンバー・ワンのパフォーマーとして、
全てを手にいれたかのように見えたマイケル・ジャクソンだったが、
名声と引き換えに一切のプライバシーを失ってしまった。
四六時中監視され、事実と違う事をマスコミに書きたてられるようになり、
マイケルのイメージは少しずつ歪められていく。

自伝の最後にマイケルの言葉が記されていた。

「人間は真実と接していたいと望んでいます。
また、その真実を他の人に伝えたいとも思っています。
たとえ絶望であっても、喜びであっても、
自分が感じたり経験したことを生かすことが、
その人生に意味をもたらし、他の人々に役立つことになるでしょう。
これこそは芸術の真の姿です。
こうした啓蒙の瞬間のためにこそ、僕は生き続けているんです。
                               マイケル・ジャクソン」

マイケルは「真実」というものにとことんこだわったのだろう。
彼にとっての真実はありのまま自分であり、
それはこの世にたった一つしか存在しない神様からの贈り物。
マイケルは自分に備わった才能を最大限生かせるよう練習に励み、
いかなる時も諦めずベストを尽くすべきだと自分に言い聞かせてきた。
自らの真実を最高の状態で一人でも多くの人々に伝えるために。

マイケルのライヴでエンディングとしてよく使われる曲に
私はマイケルが心を込めて歌うこの曲が大好きだ。
彼のピュアなハートが近くに感じられ、自然に涙があふれてくる。

「僕は変わろうとしている きっと気分も良くなって 全てが上手くいくはず
自分から変えていこう 鏡に映るこの自分から
世の中をもっと良くしたいなら まずは自分を見つめて 自分から変えていこう」

マイケルが歌うと本当に自分も変われるような気がしてくる。
理想の自分に近づけるような気がしてくるのである。
マイケルみたいにベストを尽くし、たった一度しかないこの人生を
精一杯生きなくてはいけないという気持ちにさせられる。

マイケルの声が、今、聞こえてきた・・・。

「君も絶対に変われるよ。
今よりもっと素晴らしい人生を歩むために。

僕のことを思ってくれてありがとう。
確かに僕は人を信じすぎたのかもしれない。
でも、そうしないと僕が僕でなくなっちゃうんだ。
後悔はしていない。それが僕という人間だから。
僕は僕にしかできない事を全力でやったんだ」


★僕にとって大切なのは、人々を幸せにさせたり、いろいろな問題や悩みから
解放してあげたり、彼らの道を照らす手助けをしたりすることです。
彼らに「すばらしかった、また来たいな、楽しかったよ」と言われながら、
ショーの会場を後にして欲しいのです。
僕にとってはそれがパフォーマンスです。なんてすばらしいことでしょう。
                               マイケル・ジャクソン

<2015・10・14>



























ジャクソン5



















































母、キャサリンと












グラミー賞の授賞式で、クインシー・ジョーンズと