エルヴィスの生い立ち@

 Elvis Aaron Presley   <1935〜1977>

エルヴィス・アーロン・プレスリー <本名>
1935年<昭和10年>1月8日 ミシシッピー州東テュぺロ生まれ。
当時、父<ヴァーノン>は18歳で小作人。 
母<グラディス>は22歳で縫製の仕事をしていた。極貧の家庭に生まれる。
エルヴィスには双子で死産だっだ兄<ジェシー・ギャロン>がいる。

生まれた場所は、黒人居住区に隣接したプア・ホワイトが多く住むところで、
その後住んだ家は、黒人の教会がわずか道を1本へだてたところにあった。 
エルヴィスの生家はヴァーノンが作ったもので、今でも当時のまま保存され、
「ショット・ガン・ハウス」と呼ばれている。
それは、家の玄関から散弾銃を撃つと、弾がそのまま裏へつき抜けてしまうほどの
狭い家だったからだ。
9m×4.5mの大きさで寝室とキッチンの2部屋しかない。    
でもグラディスは、狭いながらもきれいに家の中を片付け、
エルヴィスに限りない愛情を注いだ。
エルヴィスの中には自分を心から愛してくれる母親に、
「いつか立派な家を買ってあげたい」「楽をさせてあげたい」
という気持ちが自然と芽生えるのである。

エルヴィスの家は敬虔なクリスチャンで、
近所のファースト・アセンブ リー・オヴ・ゴット
教会に毎週日曜日になると通った。
教会の神聖な雰囲気とお説教、そしてそこで心をこめてみんなで歌うゴスペル。
エルヴィスの幼い心に多大な影響を与えたことは言うまでもない。
5歳の時にはすでに聖歌隊の一員として歌うようになる。
貧しい環境の中、歌を歌うことが数少ない楽しみのひとつだったのだろう。
それはエルヴィスの
「夕食が済み、皿を片付けた後、父と母と僕は歌を歌って、三人でハモりました。
それが、当時の僕たちの娯楽でした。」
という言葉からもわかる。

ここで、私の中でこれもエルヴィスの人格、ひいてはその音楽性までにも
影響を与えただろうと思われることがある。それは母親の教育だ。
エルヴィスは、目上の人には「Sir 」「 Ma'am」の敬称をつけるよう母親 から厳しく
教わった。
それを忠実に守ったエルヴィス。
黒人の大人にも必ず敬語を使わせたということである。
B・B・キングが後に
『「サン・スタジオ」でエルヴィスと会った時に、彼は”サー”付けで話してくれた。
うれしいじゃないか。』
と語った。

両親が差別や偏見を持たないと、その子供も親の影響を受けてそういったものに
こだわりを持たずに成長していくことが多い。
エルヴィスは白人の子としては異例で、よく黒人地区に遊びに行く子供だったらしい。
子供というのは、心惹かれる場所に自然と足が向くものだ。
きっとポーチや畑で、黒人が歌うブルースに耳を傾けていたにちがいな い。
後にエルヴィスは白人の音楽と黒人の音楽を融合させて
「ロックン・ロール」を生み出すのであるが、
その誕生に親の施した教育もかかわっていたのではと強く思うのである。
   

★「エルヴィスは他の有色人種の人にも常に愛を与えていたわ。
  彼は知らない人にも実に寛大で、どの人種の人にも平等だったわ。」
      マーナ・スミス<ザ・スイート・インスピレーションズ/彼のバックコーラス>