ダニー・ハサウェイC〜苦悩 
『The Closer I Get To You/私の気持ち』



ダニーが子どもだった頃、祖母と一緒に住んでいた場所は
セントルイスのCarr Square(カー・スクエア)公営住宅だった。
元々カー・スクエアには
アイルランドやロシアからの移民、ユダヤ人などが住んでいたが、
不況と第二次世界大戦によって
南部からセントルイスに多数流れてきたアフリカ系アメリカ人のために
政府は1942年、公営住宅を建設する。
 
1954年になると、スラム一掃計画のもと
日系アメリカ人のミノル・ヤマサキ(世界貿易センタービルの設計者)
によって設計された33棟の11階建て高層団地(通称"Pruitt-Igoe")が
カー・スクエア地区に建設され、多くの黒人がそこに入居した。
しかし、隔離されるかのように建物に押し込められた彼らの生活は
貧しさを極め、犯罪が多発。
その結果、悪名高き団地として知られるようになり
巨大な建造物は築18年で撤去されることになる。
1972年3月、33棟のうちの一つが連邦政府によって爆破され
以後4年間で全ての建物が取り壊された。
現在、広大な跡地は藪が生い茂っている。
カー・スクエアの住人は90年代に激減し、
2010年の統計によると居住者のうち98%が黒人、
残り2%が白人とヒスパニックで占められているようだ。
 
このように、ダニーが幼少期を過ごしたカー・スクエアは
危険や犯罪と隣り合わせにあり、
子どもたちの未来は決して明るいものではなかった。
幸いダニーは祖母によって大切に養育され、
本をたくさん読んで教会にも足繁く通っていたので、
自分に備わった才能を伸ばすことができたのである。
 
彼はレコーディング・アーティストになってから
黒人問題を扱った曲をいくつも取り上げた。
それらは、『The Ghetto/ゲットー』
『Little Ghetto Boy/リトル・ゲットー・ボーイ』
『To Be Young, Gifted And Black/トゥ・ビー・ヤング』
(オリジナルはニーナ・シモン)
『Someday We'll All Be Free/いつか自由に』
そして『The Slums/貧民街』である。
そこには苦しみにもがく黒人の姿が見え隠れするが、
それ以上にブラック・パワーと躍動感、そして希望が感じられる。
 
ダニーの音楽的ルーツは
ゲットーで育まれたゴスペルとブルースだったが、
ハワード大学でクラシックを学び、
友人とジャズ・バンドを組むうちに彼の音楽性は厚みを増し、
様々なスタイルを試して自由に音楽を作りたいという希求が高まってくる。
それがアルバム「The Extension Of A Man/愛と自由を求めて」として結実。
ダニー自らライナー・ノーツを執筆したことを考えても
このアルバムに期待する気持ちは大変大きかったと思う。
 
10曲のうち6曲が彼のオリジナルで、4曲がカヴァーである。
オーケストラを起用した壮大なゴスペル『神わが声をきき給う』や
黒人にとっての代表歌ともいえる『いつか自由を』
アル・クーパーの渋いブルースをカヴァーした『溢れ出る愛を』
そして幼い頃の思い出を綴った『リトル・チルドレン』や
ゲットーを題材にした『貧民街』、
甘いバラードの『アイ・ノウ・イッツ・ユー』など
まるで彼の人生を凝縮したかようなアルバムに仕上がった。
しかし、下記のデータが示す通り、
このアルバムはヒット・チャートにおいて前作の「Live」よりも
大幅に順位が下がってしまったのである。
 
「Everything Is Evrything」(1970)  - US Pop 73位, US R&B 33位
「Donny Hathaway」(1971)      - US Pop 89位, US R&B 6位
「Live」(1972)              - US Pop 18位, US R&B 4位
「Extension Of A Man」(1973)      - US Pop 69位, US R&B 18位
 
ここで、私なりの視点でダニーの苦悩について考えてみたい。
ダニー自身、「Live」が高く評価された事を
それほど喜んでいなかったらしい。
という事は、「Extension Of A Man」が「Live」を凌げなかったことは
彼にとって大きな落胆の一因になったと思われる。
では、ロバータ・フラックとコラボしたアルバムはどうだったのだろうか?
 
「Roberta Flack & Donny Hathaway」(1972) - US Pop 3位, US R&B 2位
 
ダニーがリリースしたどのアルバムよりも
ヒット・チャートで上位にランクインしている。
デュエットの場合、どちらの名前が先に出るかは
非常に重要なポイントだ。
見ての通り、ロバータの名前で始まっている。
これはアトランティックの中で、ロバータ・フラックが
ダニーよりも優先されていたことを示すものである。
二人は友情で結ばれていたため、マーヴィン・ゲイとダイアナ・ロスのように
名前の順番で揉めるようなことはなかったと思うが、
それでもダニーの心に何かしらの影は落としたはずである。
 
幼い頃から大学に至るまで「天才」としてスポット・ライトを浴び、
デビュー・アルバムがリリースされた時は、
関係者並びにビッグ・アーティスト達から
「ソウル界に新しいスターが登場した」と大絶賛されたダニー。
ところが苦心して作り上げたアルバムが、
商業的に成功は収めたものの
ライヴ盤やデュエット盤よりも巷で評価されなかった事は
彼にとって相当の痛手だったにちがいない。
周囲の期待に応えなくてはならないというプレッシャーも
尋常ではなかっただろう。
 
ダニーの深まる苦悩の原因は他にもあったと思われる。
それは同じシンガー・ソング・ライターとして同時代に活躍した
スティーヴィー・ワンダーの存在だ。
彼はダニーよりも5歳年下だったが、12歳でモータウンからデビューし、
ファースト・アルバムがいきなり全米で1位になった「天才」である。
1970年、モータウンから自らのプロデュース権を買い取った後は
自分の音楽のあり方を模索し、
当時開発されたばかりのシンセサイザーを駆使して
殆どの楽器を自分で演奏するスタイルを確立する。
 
1972年にリリースされたアルバム「トーキング・ブック」の中から
シングル・カットされた『Superstition/迷信』と
『You Are the Sunshine of My Life/サンシャイン』が
全米でナンバー・ワンに輝き、
1974年のグラミー賞で初のグラミー受賞を果たす。
1976年にリリースされた2枚組のオリジナル・アルバム
「Songs in the Key of Life/キー・オブ・ライフ」は
全米アルバム・チャート1位に14週も君臨し
またもやその年、グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞したのである。
ダニーがひっそりと療養している間、
スティーヴィーは音楽業界で最高の栄誉される賞を次々と受賞し、
偉業を成し遂げていった。
 
私はダニーが自分とスティーヴィー・ワンダーを比べて
悩んでいたのではないかと長らく思っていたので、
「クインシー・ジョーンズ自叙伝」(2002年河出書房新社)の中で
その記事をみつけた時は、やはりそうだったのかと溜息をついた。
ちなみにクインシーはダニーにオーケストレーションを指導しており、
一緒にツアーをしたこともあって親しかったらしい。
 
以下、その部分をクインシー・ジョーンズの自叙伝から抜粋する。
「ダニーはのみ込みが早く実際天才だった。
だが、スティーヴィー・ワンダーが彼以上に人気を博することが
理解できなかった。
彼はよくこう言っていたものだ。
『間違ったことは何一つやっていない。
どうすれば人を感動させることができるのかもわかっている。
私がスティーヴィーのように愛されるにはどうすればいいのだろう?』」
 
このような言葉を投げかけたダニーの心中を思うと、
私は胸が詰まって苦しくなる。
「天才」と言われたアーティストが
このような問いかけをせずにはいられないなんて・・・
八方に広がっていったはずのダニーの音楽性が
皮肉なことに、八方塞がりの状態に陥ってしまったのだ。
 
一緒にデュオを組んだロバータ・フラックも
『The First Time Ever I Saw Your Face/愛は面影の中に』(1972)と
『Killing Me Softly With His Song/やさしく歌って』(1973)
でグラミー賞を受賞。
 
友人の快挙を喜びつつも、ダニーの心はますます沈んでいったにちがいない。
しばらく音楽活動を休止して療養生活を送っていたダニーだったが、
彼の素晴らしい才能を心から信じてやまなかった
ロバータ・フラックがついに動き出し、1977年にデュオを再開する。
そして吹き込まれた曲が『The Closer I Get To You/私の気持ち』だった。
 
ブランクを感じさせない二人の息の合ったデュエットは
多くのリスナーを魅了し、スイートな愛の世界に我々をいざなってくれた。
ダニーの声があまりにも優しくて慈愛に満ちているので、
私はこの曲を聴く度に甘くせつない気持ちになる。
ロバータ・フラックがどれだけダニーを大切に想い、
必要としていたことだろうか。
ダニーは彼女の気持ちに一生懸命応えるかのように心を合わせ、
苦しみを愛に昇華させて歌った。
 
しかしそれから1年後、
ロバータとのデュエット・アルバムを制作しているさなか、
ダニーは自ら命を絶ってしまう。
これはどうしようもできない二人の宿命だったと考えざるを得ない。
彼の死後、ロバータ・フラックは何人かの男性アーティストと
デュエットしているが、
ダニー・ハサウェイ以上のパートナーと巡り合っていない事は確かだ。
彼女にとってダニーは最高のパートナーだった。
それは二人のデュエット・アルバムを聴けば明らかである。
二人は音楽の中で会話をすることができた。
それぐらい彼らの感性は一致していたのだ。
 
 
 
                                  
              Written by James Mtume & Raggie Lucas
 
The closer I get to you
The more you make me see
By giving me all you've got
Your love has captured me
 
あなたと親しくなればなるほど
もっとわかってくるの
あなたは私に全てをくれるから
私はあなたの愛の虜になってしまったと
 
Over and over again
I try to tell myself
That we could never be more than friends
And all the while inside
I knew it was real
The way you make me feel

何度も 何度も
僕は自分に言い聞かせようとしているんだ
友達以上になってはいけないと
なのに ずっと 心の中では 
君にドキドキしていたよ
 
Lying here next to you
Time just seems to fly
Needing you more and more
Let's give love a try
 
あなたのそばで横になっていると
時があっという間に過ぎていく
あなたがもっともっと必要なの
さあ愛を育みましょう
 
Oh.....Sweeter than sweeter love grows
And heaven's there for those
Who fool the tricks of time
With the hearts of love
They find true love
In a special way

あぁ どんどん愛が優しくスイートになっていく
そこが天国なんだ
愛の力で時が過ぎるのを早く感じる人たちにとって
彼らは特別な方法で
本当の愛をみつけるんだよ
 
The closer I get to you
The more you make me see
By giving me all you've got
Your love has captured me

あなたと親しくなればなるほど
もっとわかってくるの
あなたは私に全てをくれるから
私はあなたの愛の虜になってしまったと
 
Over and over again
I try to tell myself that we
Could never be more than friends
And all the while inside
I knew it was real
The way you make me feel

何度も 何度も
僕は自分に言い聞かせようとしているんだ
友達以上になってはいけないと
なのに ずっと 心の中では 
君にドキドキしていたよ
 
The closer I get to you
The more you make me see
By giving you all I got
Your love has captured me

あなたと親しくなればなるほど
もっとわかってくるの
あなたに全てをあげるから
私はあなたの愛の虜になってしまったと
 
The Closer I get to you
A feeling comes over me
Me, too
Pulling closer, sweet is the gravity
The closer I get to you 
 
君と触れ合えば触れ合うほど
感情があふれてくる
私もよ
スイートな愛が二人をもっと引き寄せる
あなたと触れあえば触れ合うほど
 
 
                                            対訳:Kaorin
 
<2010・12・23>






Carr Square Village 1954




Pruitt-Igoe



















「Extension Of a Man/愛と自由を求めて」(1973)























Donny Hathaway



























「Talking Book/トーキング・ブック」 スティーヴィー・ワンダー




























Donny Hathaway


































Donny Hathaway & Roberta Flack