マーヴィン・ゲイG〜ムスクの香りに包まれて


最近、マーヴィン・ゲイの貴重な映像が収められたディスクを入手した。
それは1987年にビデオで発売され、後にレーザー・ディスク化されたもので
今は絶版となってしまった「Motown On Showtime〜Marvin Gaye」である。
約1時間の内容だが、
昨年と今年発売されたDVDには入っていないプライベート写真やレアーな映像、
ベリー・ゴーディー、二人の元妻、母親などへのインタビューが
多数盛り込まれている。

ホスト役は作曲家としても名高いマーヴィンの旧友スモーキー・ロビンソン。
マーヴィンとタミー・テレルが歌った『エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ』や
『エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング』など数多くのヒット曲を手がけた
ニコラス・アシュフォードとヴァレリー・シンプソン夫妻も登場する。

1967年のエキスポ会場で歌ったタミーとの
『Ain't No Mountain High Enough』も丸ごと入っていた。
他に見逃せないデュエット映像として
ティナ・ターナーと歌ったメドレー『I'll Be Doggone〜Money』(1965年)や
グラディス・ナイト&ザ・ピップスと歌った
『I Heard It Through The Grapevine/悲しいうわさ』(1983年)がある。
マーヴィンとグラディスがワイルドに掛け合う
『悲しいうわさ』はなかなか聴き応えがあり、
ノッテきたマーヴィンがピップスと並んでステップを踏んでいた。

ビートルズを始め多くのアーティストに影響を与え、
彼らを魅了してやまなかったモータウン・サウンドの製造工場である
簡素なスタジオ「ヒッツヴィル」の外観から始まる一連の映像も強烈だ。

スタジオに置かれたグランド・ピアノの前に
アシュフォードとシンプソンが寄り添うように座り、
当時恋人同士だった二人が
モータウンのスタッフになった頃の事を懐かしく回想する。、
そしてシンプソンの伴奏で、
互いに協力しながら作ったという
『Ain't Nothing Like The Real Thing』や『Your Precious Love』
『You Are All I Need To Get By』をデュエットするのだ。
彼らのデュオは思いやりや優しさ、信頼感にあふれていて、
個々のソウルが完全に共鳴し合って一つになっていた。
その一体感に「これが本物の愛なんだ・・・」といたく感激した。
マーヴィンとタミーが歌った愛のデュエットの裏側に
こんなに素晴らしいカップルの存在があったことがわかり、嬉しくなる。

このディスクに収められていたマーヴィンのパフォーマンスの中で
一番心を奪われたのは、何と言っても1983年のNBAオールスター戦で独唱した
『The Star-Spangled Banner/星条旗』(『アメリカ国歌』)だ。
この映像は彼の伝記を読んだ時から、いつか観てみたいと切望していたもの。
その夢がとうとう叶ったのである。
グレーのスーツを着たマーヴィンは
緊張した表情を隠すようにサングラスをかけ、
拍手に迎えられながら、
バスケット選手たちが取り囲むコートの中央に進み出た。
マイク・スタンドを調節した直後、
シンセとリズム・ボックスしか使っていない
簡単な打ち込みの音に合わせながら「Say, can you see…」と
静かに歌い始める。

マーヴィンの歌声はソフトで慈愛に満ちており、
選手や大勢の観客は
深遠な響きを持つ彼の声に引き込まれていった。
奴隷としてこの地に連れて来られ、
アメリカという国を呪ったであろう
アフリカン・アメリカンの筆舌しがたい想いを胸に秘め、
マーヴィンは栄光のスポット・ライトを浴びながら
心の底から涌き出てくる声で国歌を歌いあげたのだ。

最後のバースに「自由の地」という歌詞がある。
マーヴィンは魂を奮い立たせながら「Free/自由」という言葉を発し、
両手の握り拳を力強く肩まで上げた。
その途端、「自由」に込められた深い意味がズシリと伝わってきて
私の胸に熱いものがこみ上げてくる。
会場は温かい空気に包まれ、大きな拍手と声援がこだまする中
彼は観客に向かって投げキスをし、軽く会釈してから退場した。

マーヴィンは伝記「I Heard Through The Grapevine/悲しいうわさ」
(シャロン・デイヴィス著/キネマ旬報社)で、
この時の歌い方について以下のようなメッセージを残している。
「あれはオペラ・タイプの声にふさわしい曲だったから歌うのは難しかった。
ソウル・シンガーとしては気持ち良く歌えるものではなく、
また、ほかの黒人にとってもそうだと思う。
アメリカは多民族国家なのだから、
それぞれの人種がもっとも心地良く思う歌い方で歌えばいいと思う・・・
僕は白人風には歌えない・・・
自分の心を揺るがすように歌わなければならない。
僕はソウル・シンガーだから、僕は僕のやり方で歌うべきで
白人のやり方で歌うわけにはいかない。」

マーヴィンは国歌を歌う前に神に祈ったそうである。
「魂の歌を歌わせて下さい・・・」と。
彼は祖国を離れたことでアメリカの偉大さに気がつき、
「アメリカを愛している」と語った。
マーヴィンの国歌はアメリカの歴史そのものなので、
是非永久保存版として残してもらいたいと思う。


私は今年の3月から8回に渡り、
マーヴイン・ゲイに対する自分の想いを率直に書いてきたつもりだ。
そして今回が最終章である。
本当は昨年の秋頃からマーヴィンのことを書く予定だったが、
彼の人生があまりにもトラブルにまみれ、タブーな要素が多かった為、
私はその一つ一つを分析して自分の中で消化し、
自分の言葉で表現する勇気をなかなか持てないでいた。
そうこうするうちに刻々と時間が過ぎ、新しい年がやってきた。
書きたいという気持ちは常に心の片隅にあったが、
着手することにためらいを感じていた。

そんな時、サイトの「Music Life」のコーナーでご協力して下さった
Bluemoonさんの言葉を思い出したのである。
マーヴィン・ゲイが1979年に来日して、武道館でコンサートを開き、
その時マーヴィンが投げた帽子がBluemoonさんの手元にあるという事を!
私は悩んだ末、Bluemoonさんに「どうか帽子を一目見せて下さい」とお願いした。
すると快諾してくださり、何と大切な帽子を貸してくださることになったのだ。
私はそのご厚意に対して感謝の気持ちでいっぱいになり、
マーヴィンとマーヴィンの音楽を愛するBluemoonさんのためにも
頑張らなくてはと強く思ったのである。

マーヴィンの帽子を貸していただいたのは3月4日だった。
帰宅するまでは帽子を見ないと決めていたので、袋を開け、
透明なケースの中に黒いニット帽が入っているのを目の当たりにした時、
言葉では言い表せない程の感動を味わった。
「これは夢?今ここにマーヴィンがいる!」

恐る恐るケースのフタを開け、パッケージの中から帽子を取り出した時、
私のまわりに濃厚なムスクの香りがプーンと漂ってきた。
まるでマーヴィンがそこに佇んでいるかのように・・・。
音楽を通して、私に「sweet/甘美な」の意味を実感させてくれたのは
マーヴィンだった。
今、そのマーヴィンの甘い香りに包まれている。

ラメ入りの黒いニット帽子はドライ感のある糸で編まれていて、
無数のマイルド・ブラックのスパン・コールが両面に縫いつけてある。
マーヴィンの汗で一部スパンコールが変色しており、
彼の生きていた証みたいなものを直接感じることができた。
「マーヴィンもバック・アップしてくれている。一生懸命書こう。」と
帽子を見つめながら誓った。

マーヴィンが私の家に来る数ヶ月前に買った本がある。
タイトルは「イナー・シティ・ブルース〜マーヴィン・ゲイが聴こえる」(ヤマハ刊)
著者はマーヴィンと親しかった音楽評論家の紺野慧氏だ。
その本の中にマーヴィンが79年の11月に来日した時の様子が
詳しく書かれていた。
2番目の妻ジャニスと離婚した後だったので、
彼の傍には支えてくれる家族の姿もなく
体重もかなりダウンしていたらしい。
でもマーヴィンにとって
自然と一体化した生活が息づく日本は
憧れの地でもあったという。
日本でのライヴ・スケージュールは
11月12、13日の武道館と大阪の万博ホールで、
たった5日間の日本滞在だった。
そういえば帽子と一緒に入っていたBluemoonさんのチケットには
「11月13日(火) 6:30pm 日本武道館大ホール」と印字されていた。

大阪からアメリカに帰国する当日、
マーヴィンは紺野氏に
「この近くに教会はないだろうか。あるなら祈りに行きたいし、
少しばかりの寄付もしたい」と申し出たそうだ。
ところが教会がなかったため、一緒に散歩に出かけることになった。
ジャージ姿のマーヴィンは大阪、中の島にある
大型ホテルに隣接した公園にカセット・デッキを携えて出かけ、
晩秋の木漏れ日を浴びながらリズムに合わせて踊ったらしい。
信号を渡り、紺野氏の元に戻ってきたマーヴィンは足元に
カセット・デッキを置いた。
そこからはサム・クックの『チェンジ・イズ・ゴナ・カム』が流れていて、
マーヴィンは紺野氏に微笑みかけると、
再び下を向いて頷きながら目を閉じ、曲に聴き入ったということである。

私はその時のマーヴィンの様子を想像しながら
手のひらの上にある帽子を眺めた。
たぐい稀なる感性と音楽の才能を神から与えられたマーヴィンは
声のトーンを自由自在に操る能力に長けている。
その時々で変化するマーヴィンの魂は
そのままメロディとなって表現されていく。
だからリスナーは彼が織り成す歌の世界に、
いとも簡単に入り込むことができるのだ。

1976年、オランダのライヴで見せてくれた
『Distant Lover/遠い恋人』のパフォーマンスはその最たるものである。
自分の元を去った恋人に向かって、
「お願いだ・・・戻って来ておくれ!」と懇願する歌だが、
マーヴィンはそれを見事に声と身体で表現した。
顔に苦渋の色をにじませ、ひざまづきながら「プリ〜ズ!」と
切羽詰った声で遠くに行ってしまった恋人に呼びかけるのである。
1973年のアルバム「Live!」に収録されている『Distant Lover』は
最高の出来である。
歌のラストで泣き付くように発する「プリ〜〜ズ」は圧巻で、
こんなに苦しみと哀願に満ちた「please」を私は今まで聞いたことがなかった。

いくら魂が激しく燃えていても、それを表現する術を知らなかったら
万人の心に訴えるアーティストにはなれない。
マーヴィン・ゲイの音楽の根幹を成すものは
彼の熱き魂と生きざまであり、それを彼の才能がサポートした。
喜びや苦しみの中から生み出された彼の音楽は
人間の弱さや脆さ、歓喜など様々な感情を正確に伝えることができ、
いつの時代であろうと人々の心を捉えて止まないはずだ。

「マーヴィン・・・あなたの魂は生きている。
これからあなたのことを書きます。どうか想いを感じ取らせて下さい。」
そう心の中で念じながら、私はゆっくりと帽子を抱きしめた。


★物事の本質を、深さを、意味を僕は書きたい。
アーティストにとって大切なことはたった一つ。
人に美しい心を呼びさますことだ。
<マーヴィン・ゲイ>

★人生で挫折を味わっていないアーティストに
良い作品は生まれない。
<マーヴィン・ゲイ>

★プライベートではマーヴィン・ゲイを好んで聴いている。
ビリー・ホリディがそうだったように、マーヴィン・ゲイには
楽器のように声をコントロールできる才能がある。
<マイルス・デイヴィス>


『Distant Lover / 遠い恋人』

     Written by: Gwen Fuqua/Sandra Greene/Marvin Gaye


Distant lover, lover (Lover lover lover)
So many miles away
Heaven knows that I long for you
Everynight, everynight
And sometimes I yearn during the day

遠くへ行ってしまった恋人よ
君とは何マイルも離れているね
君に恋焦がれていることは
神様もお見通しさ
毎晩 毎晩 時には昼間から
君のことを恋しく想っているんだよ

Distant lover, lover
You should think about me
Say a prayer for me
Please, oh please baby
Think about me sometime
Think about me here
Here in misery, misery

遠くへ行ってしまった恋人よ
僕のことを考えておくれ
そして祈りを捧げて欲しい
お願いだ お願いだから
僕のことを時々想っておくれ
悲しみにくれている僕のことを

As I reminisce oh baby 
Through our joyful summer together
The promises we made over daily letters
Then all of a sudden
Everything seemed to explode
Now I gaze out my window
Sugar, down a lonesome road

一緒に過ごした楽しい夏の日々を思い出しているよ
毎日のように綴った手紙で約束を交わしたね
なのに 突然 すべてが砕け散ってしまった
今となっては窓の外に広がる景色も寂しげに映るだけ

Distant lover
Sugar, how can you treat my heart 
So mean and cruel
Didn't you know, sugar,  
Every moment that I spent with you
I treasured it like it was precious jewels, oh baby
Please Load have mercy !
Oh baby don't go
Please come back baby

遠くへ行ってしまった恋人よ
どうして僕の心をそんなに傷めつけるんだい?
君と過ごした一瞬一瞬を
僕はかけがえのない宝石のように大切にしてきたのに
あぁ ベイビー
お願いします 神様 どうかお慈悲を!
お願いだ ベイビー どうか行かないで
お願いだから 戻ってきておくれ  

Something I wanna say
When you left you took all of me with you
And God I wonder  
Do you wanna hear me scream and plead
Please, please, oh please baby
Come back home, girl 
Oh baby, oh baby, please darling
Come back home 

これだけは言わせて欲しい
君が去った時 僕は僕でなくなってしまった
君は僕が泣き叫んで懇願するのを聞きたいのかい?
どうかお願いだ お願いだからベイビー
戻ってきておくれ
あぁ お願いだ ダーリン
戻ってきておくれ                      訳:Kaori


<06・10・30>