マーヴィン・ゲイB〜『ホワッツ・ゴーイン・オン』


1971年にリリースされたアルバム「What's Going On/ホワッツ・ゴーイン・オン」の
カヴァー・ジャケットに写るマーヴィン・ゲイは、
「モータウンの貴公子」と呼ばれた60年代の頃の雰囲気とは違う。
冷たい雨に打たれながら遠くを見つめ、
思索的な表情を浮かべる髭面のマーヴィン。
デラックス・エディションの中ジャケットには、
すべり台や腰掛のないブランコをバックに
雨の中に佇む彼の姿が写し出されていた。
足元には仲良く並んだ赤と青の三輪車。
「ホワッツ・ゴーイン・オン」は彼自らが初めてプロデュ−スしたアルバムで、
戦争や自然破壊、環境汚染など
深刻な社会問題に対するメッセージ・ソングで構成されている。

最初の曲はジャケット・タイトルになっている『What's Going On/愛のゆくえ』。
出だしがユニークで、仲間が集まって雑談している場面から始まり、
そこに甘いサックスの音色が加わって軽やかなビートが刻まれていく。
マーヴィンの歌声から色気や力みが消え、
彼の声は柔らかくリラックスした癒し系の声に変化していた。
しかし、悲惨な殺戮が繰り返される戦争や理不尽な問題に対して、
「What's going on ?/いったいどうなっているんだ?」と力強く問いかける。
そして、どうにかしてこの状態を早急に打開し、
すさんだ人々の心に愛を甦らせようと呼びかけるのである。
この曲は、弟のフランキーがベトナム戦争に従軍し、
彼が戦地で見た地獄をマーヴィンに語ったことがきっかけとなり生まれた。

バック・サウンドも歌と同じぐらい素晴らしい。
私はこのアルバムで
初めてバック・ミュージシャンの名前を知ることができた。
60年代のマーヴィンのアルバムには
彼らの名前が一切クレジットされていなかった。
一番知りたかったのはベーシストの名前。
あの天才的とも言えるベース・ラインを弾いていたのは
「ジェームス・ジェマーソン」だとわかる。
彼が生み出すべース・ラインは粋で洗練されており、
音の感触もなめらかで躍動感に満ちている。
リズム・セクションの要になっているベース音に、
静かに流れる美しいストリングスの音色や爽やかなコンガの響きが重なり、
それらが透明感のあるマーヴィンの声と上手く調和していた。

時折テンポ良く入る会話や応援団のように元気がいいコーラス、
マーヴィンの巧みなスキャットも斬新な感じがして好感がもてる。
バックでコーラスをしているメンバーの中に
メル・ファーというプロのアメリカン・フットボールの選手がいるらしい。
彼はマーヴィンのフット・ボール仲間で、
素人のバック・ヴォーカルを起用するという大胆なを発想を思い付いたのは
もちろんプロデューサーであるマーヴィンだ。
マーヴィンはメル・ファーの起用は大成功だったと以下のように述懐する。
「これは完璧にうまくいった。・・・まさに僕の欲しかった雰囲気だった。
それにフット・ボールの選手はエネルギーにあふれているから、
元気のいいコーラスをしたり、
どんどん会話を盛り上げていくのが実に上手いんだ。」

4曲目の『Save The Children/セイヴ・ザ・チルドレン』では、
絶望ともいえる環境に身を置いて苦しんでいる子供を
どうにかして救おうと心の底から訴えていた。

5曲目の『God Is Love/ゴッド・イズ・ラヴ』は短い曲だが、
マーヴィンの心は神への愛で満ちていて
崇高な雰囲気が彼の声に宿っている。

6曲目の『Mercy Mercy Me (The Ecology)/マーシー・マーシー・ミー』は
『ホワッツ・ゴーイン・オン』と同じリズムでとても大好きな曲だ。
大気汚染や産業廃棄物で青い空やきれいな海が汚され、
動物や鳥達が悲しみの声を上げ魚は水銀にまみれている。
いったいどうしてこんな事になってしまったのかと
彼は怒りを美しいメロディに変えて人々に問いかける。
この曲を歌うマーヴィンの声を聴いた時、
まさしくヒーラーの声だと思った。

マーヴィンはこのアルバムで、
人間のエゴが作り出したおぞましい社会問題に対して疑問を投げかけ、
かけがえのない命や地球、子供などの弱者を救うには
神の御心に従うことが大切だと示唆している。
つまり、人間の愛でこの世を満たしていく以外、
解決の糸口は見つからないとマーヴィンは言いたかったのだ。
ライナー・ノーツはマーヴィン自身が執筆しており、
彼の真剣な想いが直に伝わってくるようだ。

「ホワッツ・ゴーイン・オン」は
マーヴィンの復帰を飾るにふさわしいアルバムとなった。
1970年3月、彼は最高のデュエット・パートナー、
タミ−・テレルを病気で失った後、ショックから立ち直ることができず
しばらく隠遁生活を送ることを余儀なくされた。
自宅に引きこもり、麻薬に溺れ、人と会うことを避けて
不精髭は伸び放題となる。
21歳の時にベリー・ゴーディの姉にあたる17歳年上のアンナと結婚し
一時は幸せの絶頂にいたマーヴィンだったが、
すでにこの頃は夫婦関係も冷めており、
タミーを失った悲しみで彼の心はズタズタに引き裂かれていた。
彼女の死がマーヴィンにどれだけダメージを与えたか、
彼の言葉がそれを物語っている。

「タミーの死は本当に辛かった。
彼女と僕が恋人だったからじゃない。
そうだったらよかったと思うが、
僕達の関係はプラトニックなものだった。
辛かったのは、あんなに才能のある美しい人が、
あんなに若くして死んだということだ。
この世で自分が愛していた人、好きだった人、
仲が良かった人を失うのはなかなか大変なことだよ。
それに僕らは二人共まだ若かったし、・・・ものすごい打撃だったな。
それから2、3年は歌えない程だった。
タミーとタミーの死のことで味わった感情的な経験がものすごく大きかったから、
また別の女性と一緒に仕事をするなんて考えられない。
タミーはまだこれからというシンガーだったのに、
その彼女から、そして、他の大勢の人からその才能が奪われたんだ。
僕は本当に彼女を愛していたよ。」

マーヴィンはタミーの死によって物事を哲学的に捉えるようになり、
音楽や女性以外のことにも関心を向けるようになっていった。
愛する者の死は彼の心に新たなインスピレーションを与え、
アルバム「ホワッツ・ゴーイン・オン」となって返ってくる。

ある時、彼のサウンドを聴いていて、
私の音楽のルーツは70年代のブラック・ミュージックにあると気がついた。
このアルバムが出た数年後、私はエレクトーンを始め、
リズムが主体となって作り出されていく音の世界に
どっぷり浸かるようになっていく。
左足でベースが弾けるようになった8歳の頃、
お気に入りのリズムは8ビートだった。

毎日のようにエレクトーンに付いているリズム・ボックスを使い、
流れてくるリズムに合わせながら、覚え立てのコードを循環させて
延々と弾いていた。
トランス状態とでも言うのか、簡単なコード進行でも
リズムに合わせて弾いていると全く飽きない。
心が自然と軽くなり、心地良さで身体が揺れてくる。
あの時味わった感覚は今でもはっきりと憶えていて
一生忘れることはないだろう。
マーヴィンの音楽を聴いていると
あの頃の事が思い出されて懐かしさで一杯になる。

私はマーヴィンの正直さが好きだ。
アーティストの中には
売ることしか頭にないレコード会社の操り人形となっている者も少なくないが、
マーヴィンは『ホワッツ・ゴーイン・オン』を境に
自分の意見をはっきりと口に出し、
自分のやりたい音楽を追求していくようになる。
彼にとって音楽はメッセージなのである。
彼は自分の弱さや想いをストレートに音楽で表現し、
自らの感性に忠実であろうとする真のアーティストだった。

シングル『ホワッツ・ゴーイン・オン』が1971年1月にリリースされた時、
モータウンの社長、ベリー・ゴーディは
「よくこんなものがリリースできたな。今まで聞いたうちで最悪のレコードだ。」
とけなしたが、彼の意に反してこの曲は大ヒットし、
5週連続でR&B(ソウル)チャートのトップに君臨する。
ようやくアーティストの意向で音楽が作れる時代がやってきたのだ。

私はマーヴィンの音楽を部屋でかけながら、
彼についての率直な感想を家族に話した。
彼はどんなタイプの歌であれ、全力投球を惜しまない。
それがしみじみと伝わってきて心の琴線に触れるのだと話したら、
数日後、予期せぬ嬉しいプレゼントが家に届く。
それはマーヴィン・ゲイの人生を辿ったDVD
「Behind The Legend/マーヴィン・ゲイの真実」だった。
そのDVDには彼の赤裸々な人生が綴られていた。
マーヴィンを深く知れば知る程、彼の苦悩が洪水のように押し寄せてくる。
しかし、私は彼の素晴らしい才能に導かれるように、
底無しともいえる世界に足を踏み入れて行くのであった。

★アーティストであるという思いがいつも頭に離れずにある。
アーティスト・・・・・・祝福を受けた選ばれし者。
決して機械の歯車になどなれず、己の心も偽れない。
<マーヴィン・ゲイ>


『WHAT'S GOING ON /ホワッツ・ゴーイン・オン』
   Written by Al Cleveland, Marvin Gaye and Renaldo Benson

Mother, mother
There's too many of you crying
Brother, brother, brother
There's far too many of you dying
You know we've got to find a way
To bring some lovin' here today - Ya

母親たちがたくさんの涙を流している
兄弟たちが次々と死んでいく
どうにかしてこの世に愛をもたらそう

Father, father
We don't need to escalate
You see, war is not the answer
For only love can conquer hate
You know we've got to find a way
To bring some lovin' here today

父親たちよ これ以上戦争の被害を広げないで
戦争は何も解決してくれない
愛だけが憎しみに勝つ
何とかして見つけ出そう
この世に愛をもたらす方法を

Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me, so you can see
Oh, what's going on
What's going on
Yeah, what's going on
Ah, what's going on

デモ隊の行列 数えきれないスローガン
暴力で僕を抑えつけないでくれ
話し合えばきっとわかりあえる
ああ いったい何が起こっているんだ?
この世はどうなっているんだ?
ねえ、いったいどうなっているんだ?
ああ いったい何が起こっているんだ?

In the meantime
Right on, baby
Right on, Right on

(そうだ そうだ)
(その調子だ それでいいんだ) 

Mother, mother, everybody thinks we're wrong
Oh, but who are they to judge us
Simply because our hair is long
Oh, you know we've got to find a way
To bring some understanding here today
Oh

お母さん聞いて みんな僕達が間違ってるって言ってるよ
髪の毛が長いというだけで
人間を判断する人たちのことさ
ああ 何とかして見つけ出そう
お互いに理解する方法を

Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me
So you can see
What's going on
Yeah, what's going on
Tell me what's going on
I'll tell you what's going on - Uh

Right on baby
Right on baby

デモ隊の行列 数えきれないスローガン
暴力で僕を抑えつけないでくれ
話し合えばきっとわかりあえる
いったいこの世はどうなっているんだい?
ねえ、どうなっているんだ?
いったい何が起こっているのか教えて
何が起こっているのか話そうよ

(そうだ そうだ)
(その調子でいこう)

                                       訳:Kaori

<06・5・2>