エルヴィス〜黒人マニア


昨年の9月、マーティン・スコセッシ監督が総指揮した
ブルース・プロジェクトの映画を観に行った時、受付のところに
「ブルースの世界 オフィシャル・ガイド」という本が置いてあったので
中身をパラパラとめくってみた。
それは8月にブルース・インターアクションズから発行されたばかりの本だった。

写真やイラストも多く、
ブルースを知らない人でも興味をそそられるような作りになっている。
ブルースマンの略歴やブルース用語、入門名盤などが
わかりやすく解説されていたので、早速、購入した。
これ1冊を熟読すれば、ブルース通になれること間違いなしである。

その中に「みんなブルースが好き!〜ロックが歌ったブルースの名曲」
というコーナーがあり、エルヴィス・プレスリーが取り上げられていた。
他にエリック・クラプトン、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、
ローリング・ストーンズ、エアロスミス、ジミ・ヘンドリックス、
レッド・ツェッぺリンの名前もあった。

ブルースの歴史を語る上ではずせないのがエルヴィスの存在である。
私が持っているブルース関連のビデオには必ずと言っていいほど
エルヴィスの1954年から56年頃の写真や映像が登場する。
なぜなら、アメリカの若い白人層に黒人音楽のビートとダンスを
センセーショナルに紹介したのはエルヴィスだからである。

この本でもエルヴィスに関して以下のような解説がなされていた。
「黒人からブルースを盗んだといわれることもあるエルヴィス。
言葉は悪いがこれほどエルヴィスの音楽を的確に表している言葉もない。
それだけ彼は黒人音楽を理解し、自分のものにしていたのだ。
よく言われることだが、プレスリーが特別だったのは、
黒人のエッセンスを取り入れて、そのまま黒人のスタイルで
歌や演奏やダンスといったパフォーマンスをやってしまったことだろう。
しかも最高にホットに。
メンフィスのサン・レコードに吹き込んだブルースマンや
ミシシッピなど南部のブルースが、プレスリーの音楽の根っこになっている。」

「盗んだ」という言葉は黒人側の視点に立った時に使われる言葉だ。
彼らのアメリカにおける痛ましい歴史を考えれば、
そのような捉え方をされても仕方がない。
しかし、「盗んだ」と言わしめるほどエルヴィスの音楽はブルージーで、
そのレベルも高かったと言えるのではないか。

B.B.キングは「エルヴィスはブルースを盗んだのではなく、
ブルースから学んだのだ」と好意的に解釈してくれている。
私も、エルヴィスはブルースを純粋に好きだったからこそ、
そこから学び、エッセンスを取り入れることができたのだと思いたい。

エルヴィス自身、ロックが黒人音楽から生まれたものであるという
ことを率直に認めている。

★R&Bはまさにロックンロールだ。
(R&B is just Rock & Roll. /June 8.1956 Elvis Presley)

また、エルヴィスの音楽のルーツの一つにスピリチュアルや
ゴスペルがある事も忘れてはならない。

★僕の好きな音楽のスタイルは古い黒人霊歌などの
スピリチュアル音楽だ。ありとあらゆる宗教歌を知っているよ。
(My favorite style of music: I would say, would be spiritual music,
Some of the old colored spirituals. Why, I know practically
every religious song that's been written./March 1. 1960 Elvis Presley)

エルヴィスにとってみれば、ブルースを「盗んだ」とか「盗んでいない」とか
そういった次元の問題ではなかったはずだ。
エルヴィスは黒人音楽の全てが表現するところのものを理解し、
それらに惹かれてのめり込んでいただけなのである。
それを彼のたぐい稀な才能が放っておかなかった。
エルヴィスの出現はアメリカを変える原動力となっていく。

エルヴィスがブルースに傾倒していた時期は、
初めてミシッシピのテュぺロでブルースを聴いた時から、
メンフィスに移り住んでサンで吹き込みをし、
全米デビューを果たした1956年頃までだったと思う。
メンフィスのビール・ストリート(当時の黒人にとって天国ともいえる場所)
のバーに入り浸っていた頃が、
エルヴィスにとって最もブルースを体感できた時かもしれない。
黒人のダテ男が着る服をエルヴィスは好んで着ていた。
人種差別が厳しい当時、音楽だけでなく、
身なりまで黒人風を装ってしまう大胆さには頭が下がる。

そしてエルヴィスは黒人がステージで見せる
セックス・アピールの方法までをも学び取り、
自らの声と身体を使って熱く表現してしまったのだ。
同時に、彼の魅力的なルックスはますます輝きを増していった。
クリス・ハッチンスとピーター・トンプソンが著した
「エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ〜永遠の宿敵」
(バーン・コーポレーション発行/1995年)にこう記してある。

「その頃エルヴィスがビール・ストリートに行くもう一つの目的は、
ランスキー・ブラザーズでピンクと黒のニュー・スタイルの服を買うことだった。
しかし、酒場でギターを抱えて立ち、ブルースマンたちと共演する時の
彼に衣装はいらなかった。そのセックス・アピールだけで充分だったのだ。
・・・エルヴィスの歌は性的バイブレーションを発散していた。
彼は最低音の地声から最高域のファルセットまで、
オペラ歌手のように数オクターブをいったりきたりして
自分の声のレンジを実験していた。
さらに激しい身体の動きが生み出す息づかい、これが彼のトレードマークとなる。」

しかし、観衆を恍惚状態に持っていくエルヴィスのパフォーマンスは
次第に激しくなっていき、警察から"過度の性的要素を取り除くように"
という通達が出される。
急遽ステージのまわりに何台もカメラが据えられ、エルヴィスの身振りを
あらゆる角度から撮影できるような厳戒態勢がとられることとなった。

エルヴィスは意気消沈しながら繊細な面持ちでインタビューに答える。
「僕のことをセックス・マシーンだと思っている人たちがいるが、
僕は真面目な躾を受けて育ったし、家族の恥になるようなことは絶対にしない。
僕はただ自然に演じているだけだ。」

エルヴィスの熱狂的な身体の動きは、
何世代も前に黒人が掘っ建て小屋やスラムのダンス場で発達させてきた
ダンス・ステップであり、それは遠くアフリカに起源を持つ。
「アーバン・ブルース」を著したチャールズ・カイルは腰を振るダンスに関して
以下のような解釈をしている。

「生まれてはじめて『フラバルー』を視聴することになった西アフリカの村人達は
ついに西洋の男女も公衆の面前で抱き合ったり、抱きしめたり、
すり足でダンスしたり、相手をとっかえひっかえしたりといった
淫らで気持ち悪い習慣をやめにして、
これまでたえずわが村の誇りと喜びであったところの
力強く健康的な骨盤運動を採用したかなどと喜ぶのではないだろうか。」

西アフリカ(その昔、奴隷貿易の拠点だった)では、どの女性も、女性同士で
また自分のために踊り、男性は自らの強さ、敏捷さ、持久力を誇示するために
こうしたダンスを踊るらしい。

エルヴィスがデビュー当時見せてくれた一連のパフォーマンスは
あまりにも生々しく過激であったため、
黒人文化を蔓延させるのではないかという危惧を
白人の大人達は抱くようになる。
その結果、「ペルヴィス(骨盤)・プレスリー」というあだ名までつけられ、
数々の誹謗や中傷がエルヴィスの元に殺到した。
レコードが焼き払われるといった事件まで起きてしまう。

命の危険もあったかもしれない。
しかし、エルヴィスは黒人アーティストが歌った曲を次々とカヴァーして
自らの音楽ルーツを正々堂々と明かしていった。

アーサー・"ビッグ・ボーイ"・クルー・ダップの
『That's All Right』('54)や『My Baby Left Me』('56)、
ロイ・ブラウンの『Good Rockin' Tonight』('54)、
アーサー・ガンダーの『Baby Let's Play House』('55)
ジュニア・パーカーの『Mystery Train』('55)、
ロイド・プライスの『Lawdy, Miss Clawdy』('56)
リトル・リチャードの『Tutti Frutti』『Long Tall Sally』
『Rit It Up』『ReddyTeddy』('56)
"ビッグ・ママ"・ソーントンの『Hound Dog』('56)
クライド・マクファター&ドリフターズの
『Money Honey』('56)や『Such A Night』('60)
ジョー・ターナーの『Shake Rattle & Roll』('56)
スマイリー・ルイスの『One Night』('56)
ローウェル・フルソンの『Reconsider Baby』('60)など・・・
それらはデビューした1954年から56年に集中している。

時代を先取りしたエルヴィスの感性と勇気は
その才能と共にこれから先も永遠に讃えられるべきであろう。
音楽の世界に差別はない。
エルヴィスがそれを見事に体現してくれた。

<05・12・25>