B.B.キング〜80歳の誕生日を祝して


ちょうど1ヶ月前の9月16日、B.B.キングは80歳の誕生日を迎えた。
遠く日本の地から、愛を込めて祝福の意を伝えたい。

BBは50年余りに渡ってアメリカの広大な土地をバスで移動しながら
ワンナイト・スタンド(一夜限りのライヴ)をこなしてきた。
その間、ヨーロッパ、アジア、南米、アフリカなどへの巡業を行い、
40年間におけるライヴ回数は年平均330回という驚異的な数字になる。
ここ10年間は高齢のためライヴ回数も減ってきたが
それでも今月は17回ものライヴが予定されている。
世界広しといえども、80歳という年齢でこれだけ頻繁に
ライヴ巡業を行っているシンガーは、B.B.キングをおいて他に見当たらない。

私がBBのファンになったのは20歳の頃だが
最初はギターの音色よりも歌声に惹かれた。
BBの声は温かさやおおらかさに満ちていて、
時折深いビブラートがかかる。
ビブラートとは音を伸ばす時に音程を上下に震わせて
音に深みや表情をつけるテクニックのことで、
腹式呼吸で発声すれば、
声は身体の上部器官を振動させながら出てくるため、
味わいのある深い響きが加わるらしい。
BBは幼い頃からゴスペルを歌ったり、DJをした経験もあるので、
この腹式呼吸が自然と身に付いたのだろう。

本当の意味で私がBBのファンになったのは
「ライヴ・イン・アフリカ/1974年」のビデオを観てからである。
汗をびっしょりかきながら魂を絞り出すかのごとく歌を歌い、
ルシールを情熱的にかきならす姿にすっかり魅せられてしまったのだ。
貫禄あるMCをした後に『Guess Who』を熱唱。
ラストの曲『I Like To Live The Love』では穏やかな笑顔を見せる。
この曲を歌っている時のBBの雰囲気は最高だ。

私はBBの熱いパフォーマンスを見ているうちに
もっと彼の内面を知ってみたいと思うようになった。
まさしく『To Know You Is To Love You』の境地である。
この曲の作者はスティーヴィー・ワンダーで、
アフリカ・ライヴのオープニングを飾った曲。

私は人を好きになったら
その人がどのような生い立ちを持ち、
どのように物事を捉え、感じ取るのか知りたくなるタイプである。
表面的な美点にのみ関心が終始することはありえない。

2001年、BBの自叙伝が日本でも出版された事により、
私のBB熱も一気に加熱した。
本を読んだことで、BBが遠い世界の住人ではなく、
身近にいていつでも感じられる存在となったからだ。
共著はDAVID RITS/デヴィッド・リッツという作家で、
彼はブルースやソウル、ジャズなどの音楽にも造詣が深く、
レイ・チャールズやマーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリンなど
有名シンガーの自叙伝を数多く手がけている。

デヴィッド・リッツはBBに対し、ありとあらゆる場所でインタビューを試み、
BBもそれに応えて、お互い心行くまで語り合った。
その結果、デヴィッドはBBの言葉から心までをも感じ取り、
BBになりかわってそれらを的確に表現できたのである。
この本は、彼の卓越した感性と優れた想像力の賜物でもある。
私がBBと会うために「シカゴ行き/Chicago Bound」を決意したのも
この自叙伝を読んだことがきっかけとなった。

自叙伝に記されている数々のBBの言葉は
私の胸に深い感動と共感をもたらしてくれた。
つまり、ミュージシャンとしてだけではなく
私はBBのことを人間として大好きになったのだ。

自叙伝で一番心に残った言葉は、
BBがポテト・パイでやけどしそうになった時のことである。
BBはお母さんと一緒に近所のお葬式に出かけ、
恐怖と不安に襲われた際、
テーブルの向こうにおいしい匂いを漂わせたポテト・パイを発見する。
お腹がすいていたため、それを一気に食べようとして口に運んだら、
「ガツガツしちゃだめよ」という目でお母さんからにらまれてしまった。
とっさにBBは熱いポテト・パイをズボンのポケットに入れたのだ。
そのうち焼けるような熱さが太ももに伝わり、
耐えかねてBBは赤ん坊のように涙を流しながら泣いてしまった。
お母さんはすぐにBBを外に連れて行き、
なぜ泣いているのか追及した。

BBが正直に告げると、お母さんはビックリしてパイをポケットから取り出し、
パイがやけどしそうなぐらい熱いことに気がつく。
すぐにお母さんはBBのショーツに手をつっこんで
やけどしていないかどうか確かめて言った。
「まったく、この子ったら・・・
ママはそんな意味でにらんだんじゃないの。
食べちゃいけませんなんて意味じゃなかったのよ。
ママのこと、そんなに怖がらないでね」
母親は謝りながらBBと一緒に泣き出したのだ。

その様子を見たBBは、母親からの愛を心にしっかりと刻み込む。
「ママもまた、私と同じぐらい傷ついていたわけだ。
要するに、私とママは深いところでつながっていたということだ。
我々のハートは互いに結ばれていたのだ・・・」
こうしたBBの、繊細で感受性豊かな言葉は、
私の心の奥深くに浸透していった。

長い人生の中で、
BBは瞼に焼き付けた母の姿を
何百回となく反芻して思い出してきたにちがいない。
20代で逝ってしまった若く可憐で美しい母の面影。
BBが描き出す母親像は、極めて鮮明で実在感に富んでおり、
彼が10歳になるかならないかのうちに
亡くなってしまったとは思えない程である。

幼少期に受ける母親の愛情がいかに大切で尊いものであるか、
BBの言葉がそれを物語っている。
「ママという人はいつも元気いっぱいだった。
これまでの人生、さまざまな試練があったが
心の中でいつも導き手になってくれたのはママだった。
少し厳しすぎるかなと思えば、自分ですぐにそう言ってくれる人で、
そんなところも、私はママを愛していた理由の一つだ。
『人には自分がしてほしいように接しなさい』
ママはその教えどおりに生きていたし、
私はそんなママに永遠に生きていてほしいと思った・・・」

BBは女性を崇拝していて、よくハグをさせてくれと頼むそうだ。
そんな時のセリフは
「ちょっとあったまりたいんだよ」
お母さんは温かくBBを抱きしめてくれたと記してあったが
その温もりががまだまだ必要な時期に
最愛の母はこの世を去ってしまった。
だからBBにとって、女性の柔らかい温もりは母の象徴であり、
安心感や幸せの源なのだろう。
しかし、幼い時に母を失い一人ぼっちになってしまったBBの深い悲しみは、
誰も永遠に癒すことはできないかもしれない。

私が昨年の春、
メリルヴィルにあるスター・プラザの楽屋でBBと会うことができた時、
これまで描いてきた私のBB像は現実のものとなり、
お母さんがBBに与えてくれた思いやりや温もりまでをも
実感することができたのである。

別れ際、私が「お身体には十分気をつけてくださいね」と言うと
BBの表情が一瞬わずかに曇り、その後微笑みを浮かべながら
「ありがとう」と答えてくれた。
高齢にしては無謀ともいえるライヴ回数を心配して
私は思わずその言葉を口にしてしまったのだが、
BBにしてみれば、年齢のことを気にして
身体をいたわってばかりはいられないという思いがあったのだろう。

BBに寄せる想いはただ一つ。
これから先、いつまでもいつまでも元気でルシールを奏で、
歌を歌い続けて欲しい。
願わくば、もう一度BBに会いたいと心から思っている。


★私にとっては、一つ一つのショウが試練のようなものだ。
私は、観客のみんなに、
家に帰ってきたような気分を味わってほしいと思っている。
だけど、みんなが家族の一員になったような気分にさせることは
できるだろうか?
私がどれほどブルースを愛しているか、
それを感じてもらえることができるだろうか。
ブルースがみんなを愛していることを感じてもらえるだろうか。
答えがもしイエスなら、私は自分の仕事を果たしたことになる。
だが、答えがノーなら、
次の夜のステージで、前の晩以上に力を入れてやってみる。
それしかないな。

子供の頃はこんなふうに、いつも自分で食事を用意したものさ。
ママが亡くなってからはな。
今も時々、ツアーを抜け出してここに戻ってきては、
あの頃の自分に戻ったつもりになったりすることがあるよ。
オレは一人でやっているんだという気分でね。
そういう時、私は安らぎを感じる。
もちろん、あの頃から私もかなり変わったんだが、
一方では全然変わっていないんだとも思う。
そう考えると、私の人生がまた新しい意味を持ち出すような気がするんだよ。
<B.B.キング>

<05・10・16>






































今年の春、Bear Catさんから頂いたLP