サム・クックC〜「Mr.Soul」


サム・クックの生涯を丹念に描いた伝記
「Mr.Soul Sam Cooke」を読み始めた時、
私はワクワクした気持ちで一杯だった。
それは女性ファン特有の探求心とでもいうのか、
サムが一体どんな人物で、彼を取り巻く世界がどんなものだったか
詳しく知ってみたいというゴシップ的な感覚である。
しかし伝記を読み終えた時、私の心は複雑に入り乱れ、
おそらくサムの母親と同じであろう境地を味わっていたのである。

何よりも印象に残ったのは、
著者であるダニエル・ウルフの論理的思考、素晴らしい洞察力
そして豊かな音楽的感性である。
彼の大きく開かれた心は
サムに対する尊敬と愛情で満ち溢れていた。
しかし冷静さは決して失っていない。

一人の人間がある人物の伝記を書く時、
そこには抱えきれないほどの責任がつきまとう。
著者自身の性格、考え方、観察力、人生観によって
書かれた人物の評価はいかようにも変化しうる。

ダニエル・ウルフはサム・クックという偉大な人物の伝記を
惜しみないフィールド・ワークを行い、数々の証言を交えながら、
小説のように繊細なタッチで書き上げた。
この本はもはや伝記の域を越えている。
当時の音楽業界や黒人の歴史、人種問題にまでスポットがあてられおり、
ゴスペルやブルース、ソウル、ロックといった音楽を深く理解する上でも
最良の教科書となりうるだろう。
私は、著者が紡ぎ出す言葉の力を借りて
サムが生きた時代を仮想体験することができた。

サム・クックといえばハンサムで、物腰はクールかつ優雅。
誰をも魅了する人間性を持ったスーパー・スターであるという
表向きの認識だけしか私は持ち合わせていなかったが、
伝記を読むことで、彼の肩には絶えずプレッシャーがのしかかり、
サムの成功は生来の才能やルックスだけではなく
人知れず積んでいた勉強や努力の賜物だったということを知る。

サムの妹や弟の証言から、
父親であるチャールズ・クックの教育方針が
少なからずサムの性格形成に影響を与えたようだ。
父親は非常に厳格で、
「一度取り掛かったら最後までやり抜け。
中途半端にやるなら最初からやるな。
やるなら何でも一番になれ。ゴミ集めでも一番多く集めろ。
通りを掃除するのなら誰よりもきれいに掃いてきなさい。
努力しないで成功するはずがない。成功しても怠けてはいけない。
夢を実現させたいのなら自己を犠牲にしてまでも頑張りなさい。」
などと日頃から子供達に諭していたようだ。

もちろん厳しいだけの父親ではなく、一人一人の個性を尊重し、
努力するものには援助を惜しまなかったらしい。
家族は助け合うものだと子供達に教え、
必要なものは何でも与えてくれたそうだ。

サムがハイウェイ・QCズの一員になってロードに出ることが決まった時
気を揉む母親、アニー・メイの反対を押し切って手放しで喜んだのは父親だった。
幼い頃から礼儀正しくしつけられ、
敬虔なキリスト教徒であることを義務付けられたサムは
持って生まれたカリスマ性と才能を歌の世界で存分に発揮した。

そういった生い立ちからであろうか。
サムの歌声にはいつも一筋の光が差し込んでいるような
清廉潔白な雰囲気が漂っている。
何事にも屈しないで自信と希望を持って向上していこうという
サムの強い意志が勢いとなって歌の中に表れているのである。
サムの歌声に「憂鬱」や「やるせなさ」「脱力感」「女々しさ」
といったニュアンスは感じられない。

サムは幼い頃から女の子に人気があって
女の子はいつも彼に群がっていたため
女性に不自由したことも自ら口説く必要もなかったらしい。
サムがポップスに転向した後、
友人でスタッフでもあるルー・アドラーはサムのライヴを見て、
以下のように証言している。
「彼は会場を教会に変えてしまうんだ・・・
女性達を喜ばせるっていう意味だけど。
つまり彼にはエルヴィス・プレスリーみたいな素質があったんだ。
プレスリー同様、サムの女性ファンの熱狂ぶりも、いつも凄まじかった・・・
彼女達は彼に向かって金切り声を上げて、手を差し伸べるんだよ!
席を立って押し寄せてくるんだ。」 

先日シカゴ在住のブルース・ギタリスト、
菊田俊介さんの帰国ライヴ&ジャム・セッションを
高円寺の「JIROKICHI」に観に行った時のことである。
3時間にも及ぶブルース演奏を聴いていた時、
私ははたとサム・クックのことを思い出した。

菊田さんをはじめジャム・セッションに参加された方々は
ブルース・ペンタトニック・スケールを思い思いに演奏されて
その音階が作り出す解放感にドップリと浸りきっている。
私もそれに心地よく浸っていたわけだが、
突如「この感覚はサムの音楽とは明らかに違う」と思ったのである。

ブルースは人間の弱さやドロドロとした本音の部分を飾ることなく
あからさまに表現することによって心身の解放を促す音楽である。
ブルースを聴いていると、心を高揚させていく緊張感と
力をスッと抜く精神的弛緩の瞬間が交互にやってくるのを感じる。
神を崇め天を意識しながら
厳粛に歌い上げるゴスペルとは対極をなすものであるが、
ゴスペル育ちのサムはこの解放感に一種の憧れを持っていたのではないか
と思った。

人間誰しも絶望の淵に追い込まれ、
打ちひしがれて泣き叫びたい時もあるだろう。
サムは最愛の長男を1歳半で亡くした時、
まさにその境地に達していたはずだが、
微笑を絶やさないスマートな男は絶望にあえぎ苦しんでいても
それに浸っている暇などなかったのである。
しかし、サムが精神面でどれだけ崖っぷちに立たされていたかは
刻々と険しく変わっていく彼の表情から察することができる。

サムはゴスペル・グループにいた頃から
直立不動で歌うことを強いられ、
教会で踊りながら歌うことは許されなかった。
ソウル・スターラーズにいた時は
百戦錬磨のゴスペル・バトルが絶えず彼を待ち受けており、
ソウルフルな歌によって会衆の心をモノにしなければならなかった。
もちろんそうしたプレッシャーがサムの才能に磨きをかけ
結果的に彼は華やかな名声を得ていくわけだが、
サムの身体はいつも緊張と隣合わせだったことは否めないだろう。

日常生活でも彼は休む間もなく曲作りやビジネスのこと、
そして新人発掘について考えていたことが想像される。
彼は権力に抗するだけの強い意志と勇気を持っていたため、
公民権運動にも同調した。
サムは自らの手で人生を切り開き、
限りない野心を持ってステップ・アップすることを
常に心がけていたのである。

サムは亡くなる前日、
次回制作する予定だったブルース・アルバムについて
期待に胸を膨らませながら友人と話をしていた。
彼は長年取り組んで来た課題に再び挑むことにエキサイトしていたのだ。
しかし、その夢は実現することなく
1964年12月11日未明、
サムは33歳という若さで帰らぬ人となる。

「サムは引き下がらない男でした」
と弟のL・C・クックは語っていたが、
その言葉は私にとってサムの不可解な死を説明するに足る
重要なキーワードとして心に響いてきた。
つまり彼は不正な行為に対してひるむことなく挑み
その結果殺されてしまったのある。
私はサムの伝記を読んだ上でそう解釈した。

サムの安否を一番心配していたのは母親のアニー・メイであろう。
息子がどんなに成功してスターになろうと、
母親というものは子供の健康や心の状態を案じているものだ。
サムをおとしめる策略か何かで
彼が重病にかかっているというデマが62年の後半に流された時から
ミセス・クックは息子に忍び寄る不吉な出来事を察知していたはずだ。
その翌年にサムの長男ヴィンセントがプールで溺死。
成功の裏でどんなにサムが精神的に追いつめられていたかは
推して知るべしである。
そんなサムの心のうちを理解し、
心配してくれたパートナーは傍にいたのだろうか。
7人兄弟の中でサムは一番のお母さん子だったらしいが、
その苦しみを母親にさえ打ち明けられず、
この世を去って行ってしまったのかもしれない。

サムの伝記を読み終えた後、
私は彼の音楽を聴きながら
彼の人生を思いつつ冥福を祈った。
志半ばで命を絶たれてしまい、きっと無念だっただろう。
しかし彼の残した偉大な音楽はこれからも必ず生き続ける。
サムの歌声には聴く者の魂を揺り動かし、
生への渇望を目覚めさせる凄まじいパワーがみなぎっている。
彼の人格や信条が彼の音楽の礎になり、
それが歌となって表現され、聴衆を感動させるのである。

★サムはとても真摯な男だった。
さり気ない素振りではあったが、
人と話す時は、相手のことを学ぶかのように、
じっと目を見据えて話すんだ。
まるで目と耳だけでなく、
毛穴まで使って相手のことを分かろうとでもするように、
一心に見つめて耳を傾けるんだよ。

サムは完全主義者だよ。
彼はリハーサルや制作に何時間もかけていた。
自分で本当に納得するまでやるという感じだった。
<アート・ループ/サムが一時期在籍していたスペシャルティーの経営者>

<05・2・11>