サム・クックB〜「LEGEND」


サム・クックの人生を綴ったDVD「LEGEND」を見れば、
サムがシンガーとしてどんなに魅力的であったか、一目瞭然にしてわかる。
家族や友人達のインタビューも数多く盛り込まれ、
サムの奥深い人間性までもが余すところなく語られていた。

「LEGEND」を通じて、私は初めて彼の歌う姿を見ることができた。
スーツ姿で、愛くるしい瞳をキラキラさせながら
『ユー・センド・ミー』を歌うサム。
激しい身体の動きは一切みられない。
直立不動といってもいいくらいだ。
動かすのは両手だけ。
しっかりと脇をしめて、手でジェスチャーしながら語りかけるように歌う。

そのかわり顔の表情が豊かである。
口のまわりの筋肉をなめらかに大きく動かすため
一瞬にして口を大きく開けたりすぼめたりすることができる。
あの伸びのあるクリアーな発音はここからきていたのだ。
サムの一番のチャーム・ポイントである無邪気で魅惑的な笑顔は
歌と同じくらい輝きを放っていた。

一時期サムのバンドでギタリストをしていたボビー・ウーマックが
サムのことを
「黒人版エルヴィス・プレスリーの誕生でした・・・」
と語っていたが、彼の才能、ルックスを考えればまさしくその通りだ。

サム・クック(本名、サミュエル・クック)は1931年1月22日、
父・チャールズ、母・アニー・メイの4番目の子供として
ミシシッピ州クラークスデイルに生まれる。
父は仕事の傍ら街から街へと巡回しながら説教をする巡回牧師をしていたが、
1933年、シカゴに行くことを決意。
その時サムは2歳で、弟のL・C・クックは生まれたばかり。
ミセス・クックのお腹の中には妹となるアグネスの命が宿っていた。

7人の子供達は厳しい宗教的な環境の中、
魔法のような説教で人を惹きつける頼もしい父親と、
働き者で優しく料理上手な母親からたくさんの愛情をもらって
すくすくと成長した。
サムは幼い頃から観察力に優れ、読書家だったらしい。

★サムは、毎日本を読みあさり、図書館へ通いつめていました。
貸出し限度はひとり週5冊までですが、毎回5冊借りました。
<アグネス・クック・ホスキンズ>

歌を歌うことが大好きなサムは、少年時代から確固たる夢を持っていた。

★アイス・キャンデイーの棒を集め、12本ほどたまると
土の上に突き立ててその前で歌い始めました。
「何をしているの?」と聞くと、
「この棒は観客で彼らに歌を歌うんだ」と。
「仕事はしない。僕は歌手になる。」とも。
私が7歳、サムが9歳の時でした。
彼の言う意味が分からずにいると
「社会の仕組みだから」と答えました。
9歳が社会を説き、
「今の社会で働いても金持ちにはなれない。
給料だけでは食べていけない。
だから普通の仕事はしない。」
「何になるの?」と聞いたら「僕は歌手になる。」と。
<L.・C・クック>

その後子供達は父のすすめで
「シンギング・チルドレン」というゴスペル・グループを組み、
多くの街に出かけ伝道集会で歌うようになる。
兄の兵役でグループが解散すると、
サムは同じ年頃の少年達が集うカルテット・グループに
リード・テナーとして仲間入りし、
「ティーンエイジ・ハイウェイ・QCズ」という名前で精力的に活動した。

アグネスによるとサムはカリスマ性もあり、舞台での存在感は強烈で
彼目当ての観客で会場は満員になったということだ。
幼な友達のルー・ロウルズも手放しでサムのことを褒め称える。
「彼はグループで傑出していた。
若さもあり、その上端正な美貌。
おしゃれでセンスもよく、何といっても気品があったね。
彼にかなう男なんていませんでしたよ。」

ルー・ロウルズが言うようにサムには独特の気品がある。
その気品とは、
ひとつには知性を感じさせる明るく真摯なまななざしからくるものであり、
もうひとつは、彼の服装のセンスからくるものであろう。
写真で見る限り、彼はシンプルな服装を好んでいたようだが、
それが彼のルックスと合っていて洗練された印象を受ける。
見た目はシックでも、袖口のボタンが洒落ていたり、
カフスをチラッと見せるなど細部にこだわりを見せていた。

その上、受け答えや身のこなしも礼儀正しく、
男女問わず人を魅了する人間性を持っており、
アリサ・フランクリンをはじめ多くの女性がサムに夢中になったことにも
大きくうなずける。

1950年、サムは
全カルテット・グループの頂点に立っていた「ソウル・スターラーズ」に19歳で加入。
サムがリードをとった『ジーザス・ゲイヴ・ミー・ウォーター』が
グループ最大のヒットとなり、瞬く間にゴスペル界のアイドルになった。
サムの大人気によってゴスペル・ファンが老若男女あらゆる年齢層に拡大し、
ゴスペル界を変えるきっかけとなる。

その一方でサムはR&Bを歌うことも好きだった。
そのうち彼は宗教色の強いゴスペルに限界を感じ、
1956年12月、バンプス・ブラックウェルの進言のもと、ポップスへの転向を図る。
1957年6月にリリースした自作曲『ユー・センド・ミー−』が全米で1位となり、
エド・サリバン・ショーにも出演して、とうとう大スターの仲間入りを果たした。
1960年以降在籍したRCAレコードでの売り上げはエルヴィスについで2位だった。

サムは歌の他に、曲を作る才能も持ち合わせていた。
サムの兄であるチャールズ・ジュニアは以下のように語っている。
「サムは急に思いついて詩を書き、作曲するのです。
紙が見当たらず、トイレット・ペーパーにさえ書いたこともありました。」

レコード業界のシステムに疑問を抱いていたサムは版権や報酬にも関心を持ち、
自主でアルバムを制作する会社「SARレコード」を創設するなど
ビジネスの世界でも管理能力を発揮するようになっていく。
自ら若手シンガーをプロデュースし、後進の育成にも力を注いだ。

1962年後半の英国公演では、
観客の中にロッド・スチュアートやローリング・ストーンズも姿を見せ、
人種を超えて人々から喝采を浴びたサム。
この時『ツィスティン・ザ・ナイト・アウェイ』を歌うサムをDVDで観たが
初期の頃とは違って全身でリズムをとりながら歌っており、
セクシーな目つきに思わず釘付けになってしまった。

ヨーロッパ・ツアーでのサムのパフォーマンスは
以前のそれとはどこか違う。
これまで白人聴衆を目の前にした時、頭の片隅にあったものは
「認められたい」という意識だったと思う。
ところが、ヨーロッパでサムは今までにない手厚い待遇を受け、
真の自信を手に入れた。
余裕に満ちたサムの表情がそれを物語っている。

そして翌年の1963年1月、ハーレム・スクウェア・クラブで
伝説とも言われる凄まじいライヴを行うのである。

サムは音楽の他にも興味を持っていたものがあり、
それが私と同じ「歴史」であるとわかった時は今までにない嬉しさを味わった。
サムの娘・リンダは自宅に黒人史の図書館があったことをはっきりと覚えており、
ラジオのDJかつ歴史家であるモンテギューは以下のように語っている。
「サム・クックほど興味のある人はいません。
彼は静かに研究していたのです。黒人の歴史をね。
万巻を読破しました。彼が来るときは本を隠すことも。
なぜなら必ず持っていかれたから。『明日返すよ』と言って。」
ボビー・ウーマックは、「サムはいつも『本をもっと読め』と言っていた。
歴史に興味を持っていたね。特に黒人史には。」と回想する。

サムは自らのルーツに強い関心を示し、黒人であることに誇りを持っていた。
そのため彼は50年代の終わりにはすでに髪をナチュラルなままにし、
多くの男性達はみんな彼の髪型を真似たそうだ。

当然のことのようにサムは公民権運動にも着目し、
マルコムXやカシアス・クレイ(モハメド・アリ)との親交を深めながら
人種問題に真っ向から取り組む姿勢を見せる。
1964年、ボブ・デイランが62年に作った『風に吹かれて』を聴き、
なぜ自分が先にこうした歌を作らなかったのかと後悔して
『ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム』を苦心の末、書き上げた。
この曲は「川のほとりの小さなテントに生まれて・・・」という出だしで始まり
「だけどいつかきっと変化は訪れる」という言葉で結ばれている。
サムの告白と願いが詰まったこの名曲は彼の同胞達に絶大な影響を与えた。

ゴスペルからポップスに転向してからの8年間、
ヒットを次々と飛ばし順風満帆のように見えたサムだが、
彼はその間にいくつもの困難に遭遇した。
その度に持ち前の向上心と努力によってそれらを克服する。

『ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム』を歌うサムはもはやシンガーの域を越え、
新しい時代を切り開いていくリーダーの品格を備えた存在として
捉えられるようになっていったが、
人気絶頂の時期に彼を待っていたものは非業の死だった。

今日1月22日はくしくもサム・クックの74回目の誕生日にあたる。
ここ数ヶ月「もしサムが生きていたら・・・」と何回考えたことだろう。
ふつふと湧き起こるやるせない悔しさの後に
浮かんでくる言葉は「なぜ?」といった疑問の二文字。
「LEGEND」を観てその答えを見出せなかった私は、
サムの伝記
「Mr. Soul Sam Cooke」(ダニエル・ウルフ著/ブルース・インターアクションズ刊)
を早急に取り寄せることにした。

★(・・・成功の秘訣は?)
観察につきると思う。
回りに何が起きているのか観察すれば人の考えが理解できるようになるし
誰もがわかる言葉で書けるようになる。
<サム・クック>

★サムは素晴らしい慈善家で最高のアーティスト。
そして第一級の人間でした。
<アリサ・フランクリン>

★魅力あふれる男でした。ハンサムで優しくて誰にでも親切。
歌もうまい・・・詩人でした。誰からも好かれたよ。
<L・C・クック>

★サムは本当にかっこいい奴でした。男の中の男でした。
<ルー・ロウルズ>

<05・1・22>