「GODFATHERS AND SONS」
         〜「 THE BLUES Movie Project」より


10月23日からシブヤ・シネマ・ソサエティで上映が開始されている
『ゴッドファーザー&サン』をハロウィーンの日に観に行った。
私が映画館に着いたのは12時10分。
扉の前で入場を待っていたら、10時半から上映されている
『ソウル・オブ・マン』の哀愁を帯びた音楽が耳に入ってきた。
 
映画館の入り口を入ると左側の壁には30枚の著名なブルースマン達の
LPレコードがズラリと飾られている。
サンハウス、ロバート・ジョンソン、B.B.キング、T-ボーン・ウォーカー、
エルモア・ジェームス、ハウリン・ウルフ、ジミ−・ロジャース、
オーティス・ラッシュ、マディ・ウォーターズなどなど。
真正面にはシスター・ロゼッタ・サ−プのLPも掲げられていて、
それらのうちの何枚かは自分も所有しているレコードだったので、
とても嬉しい気持ちになった。
 
今回の映画はブルースとヒップホップのつながりに焦点をあてたもので、
主役のブルースマンはマディ・ウォーターズ。
そしてココ・テイラーとバック・ギタリストの菊田俊介さんも出演される。
 
この映画の宣伝ポスターを見た時、
「この人達はいったい何者・・・?」と思わず眉をひそめてしまった。
見るからに「タダものでない」8人の男性達が2列に並んで写っている。
まさかその中にマーシャル・チェスがいたなんて
映画を観るまでは全く気が付かなかった。
 
後列左端がヒップホップ界ではパイオニア的存在のラッパー、
チャックD(バブリック・エミナーのリーダー)、
一人おいてマーシャル・チェス、前列右から2番目が人気ラッパーのコモン
他5名はこの映画のコンセプトのきかっけとなったマディのアルバム
『エレクトリック・マッド』に参加したミュージシャン達だ。
 
まず「ヒップホップ」とはいったい何なのか?
音楽でいうところのヒップホップ(ブラック・ミュージック)は、
現在最も売れている音楽ジャンルである。
黒人からも評価され、
絶大な人気を誇る白人ラッパーのエミネムは日本でも有名だ。

ラッパーとは、言葉を軽快にアップダウンさせて喋りながら
自分のメッセージを伝えていく人の事で、
ヒップホップ音楽にはなくてはならない存在。
 
DJがターンテーブル(レコード・プレイヤー)とミキサーを使って
ファンクなリズムを作り、
それに合わせてラッパーが自分で作った詩(ライム)をリズミカルに喋る。
まわりではダンサーが、
頭を床に付けるなどの激しい動きを伴ったブレイク・ダンスを踊ったり、
ロボット・ダンスを踊ることもある。
 
スプレーなどで壁や電車の車両に絵を描く「グラフィティー・アート」も
ヒップホップには欠かせないものらしい。
 
つまり、ヒップホップとは現代(1970年代の終わり頃)の
アメリカの黒人の若者達から生まれた文化を指す言葉であり、
DJやラップ、ダンス、グラフィティーが文化を構成する主要な要素となっている。
ヒップホップという黒人文化は急速にアメリカの白人達やヨーロッパ、
アジアの若者にまで広がっていった。
 
映画の舞台はシカゴ。
オープニングは、
「セレブリティー」(ココ・テイラーのお店)で行われたココのライヴ映像から始まる。
力強い声で『ワン・ダン・ドゥードゥル』を歌うココの隣で
ギターをかき鳴らす菊田さんが大きく映った時はとても懐かしい気持ちになった。

そして客席の様子が映り、一人の男性にスポットが当てられる。
それがマーシャル・チェスだった。
チェス一族はポーランドのユダヤ人の村からシカゴにやってきて、
1947年、レナードとフィル兄弟でR&Bレコードの会社、
「チェス・レコード」を作る。
レナード・チェスの息子マーシャルは、仕事中毒の父親に構ってもらいたくて、
13歳の頃から彼の後を付いて回り、レコード作りの現場を見てきた。
 
そのマーシャルが1968年にプロデュースした、
マディ・ウォーターズの『エレクトリック・マッド』というアルバムは、
当時の批評家達から「史上最悪のブルース・アルバム」と酷評される。
マーシャルはブルースにモダンなものを取り入れようとして、マディの音楽に
ファズ(歪み)やワウワウ(うねり)といった効果をふんだんに盛り込み、
サイケデリックなブルース・ロック・アルバムをつくってしまったのである。
『エレクトリック・マッド』を聴けば、マーシャルが、
ジミ・ヘンドリックスの音楽を意識してつくったものであることは明らかだ。
 
マディの音楽から強い影響を受け、
彼の『フーチー・クーチー・マン』を度々演奏していたジミ・ヘンドリックスは、
インタビューで以下のように語った。

「ブルースで何をしようとしていたかと言うと、
とにかく僕はブルースをモダンなものにしたかったんだ。」
 
ジミ・ヘンの音楽に衝撃を受けたマーシャルは、
彼がやったことをマディの音楽でやってみた。
ところが「ガラクタ」とけなされる程、惨憺たる結果となってしまう。
実験に挑んだマディも「こんなの俺の音楽じゃねえよ。」とこぼしていたそうだが、
長い時を経て、チャックDはこのアルバムを相棒から聴かされ
あまりの「凄さ」に身体に電流が走り、ブルースに目を向けるようになっていった。
 
その後、チャックDは、
ネイディーン・コホーダスが書いたチェス一族の伝記を読んで深い感銘を受け、
ブルースとヒップホップを結びつける映画づくりの話題を聞きつけるやいなや、
「ぜひ手伝わせてください。」とマーシャルにメールを送ったのだ。
マーシャルは思いもよらない嬉しいメールに大喜びをし、
チャックDの協力のもと、ブルースとヒップホップのコラボレーションが実現する。
 
『エレクトリック・マッド』をつくった当時のバック・ミュージシャン達も呼び寄せられ、
ラッパーのコモンも参加。
プロデューサーはマーシャル・チェス。
場所はジミ・ヘンの肖像画が壁に大きく描かれている
ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオ。
ミキサーのテーブルの上を「ジミ」という名の白い猫がノソリノソリと歩く中、
音は作られていった。
 
チャックDが話す言葉を聞いていると、確固たる自分のポリシーや、
アカデミックな考え、幅広い知識を持っていることが伝わってくる。
コモンは内省的で思慮深く、クールな感じ。
 
『エレクトリック・マッド』に参加したミュージシャン達は皆高齢だが、
落ち着きと自信にあふれ、まさしく「ゴッドファーザー」的存在だ。
ヒップホップ界のチャックDとコモンがここでは「サン(息子)」にあたる。
ゴッドファーザー達が演奏するファンキーでズシリと重いブルースに、
DJがターンテーブルを回し、息子達がラップを入れていく。
 
マーシャルは「このコラボレーションから生まれた音楽は売れなくてもいいし、
お金の問題ではない」と満足げな笑みを浮かべながら話していた。
チャックDは「近頃のの若い連中はいつだって‘今’‘今’‘今’だ!
たった5年前の事だって振り返りはしない。
あいつらにルーツを教えてやるんだ」と意気込む。
メンバーが口を揃えて言った
「批評家は何も出来ない、何も作れない。」という言葉が印象的だった。
 
「たとえ批評家が何と言おうと、俺達は構わない。
自分の感性を信じて音楽を作っていくのだ。」といった彼らの強い意志も、
共通のスピリットを持つ二つの音楽を通して語られているような気がした。
そのスピリットの原点は生々しい心の叫び。
彼らの想いは限りなくピュアで真摯である。

現在や未来だけでなく、
過去の事象や「ルーツ」に思いをめぐらせるようになった時、
人は「一人前の大人」に一歩近づくのかもしれない。
 
 
★(ブルースとヒップホップのあいだに)つながりがあるのは間違いない。
ヒップホップは確かにブルースの子どもだ。
僕は本気で成長したかったら、絶対にルーツを知らなきゃだめだと思う。
親のことを知ったり、自分の文化のことを知ったりするようなもので、
そうすればその文化に誇りを持って、世界に広めていけるんだ。
<コモン>
 
<04・11・5>






   後列 Chuck D,Pete Cosey,Marshall Chess,
            Louis Satterfield,
   前列 Phil Upchurch,Gene Barge,Common,
            Morris Jennings

EMINEM


Muddy Waters/「Electric Mud」

Jimi Hendrix

Chess Records Office and Studio