「THE ROAD TO MEMPHIS」
       〜「THE BLUES Movie Project」より


2003年アメリカでは、「ブルース生誕100年」を記念して、
コンサートやラジオ、CD、書籍などのメディアを通じて
壮大なブルース・プロジェクトが展開された。
鬼才マーティン・スコセッシ監督が製作総指揮した
7本の長編音楽ドキュメンタリー「THE BLUES Movie Project」は
それらを総括するものであり、日本にもこの夏上陸し、
8月28日より劇場で順次上映が開始されている。
 
★はじめてレッドベリーが歌う
『See See Rider/シー・シー・ライダー』を聴いたときのことは、
一生忘れられないだろう。一気に心を奪われた。
1942年生まれのぼくはロックンロールを聴いて育った世代だが、
この曲を耳にしたとたん、瞬時にして悟ったのだ。
・・・これがそもそもの出所だ、と。
さらに音楽の背景にあるスピリット、あの声やギターの背景にあるスピリットは、
ずっと、ずっと以前までさかのぼった時代のものだと感じ取ることもできた。
<マーティン・スコセッシ>
 
●『ソウル・ オブ・マン』(ヴィム・ヴェンダース監督)
  監督が愛してやまない3人の伝説のブルースマンの人生を描いた
  ブルースの魂を見つける旅。
 
”ブルース天国”・・・4人の映画監督たちがブルースの旅路をさまざまな
            視点から語った4本のドキュメンタリー特集。
 
  ●『レッド、ホワイト&ブルース』(マイク・フィギス監督)  
     エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズ、ビートルズなど
    ブリティッシュ・ロックを生んだブルースを追う。
    ビートルズにまつわる秘話も明かされる。
 
  ●『ロード・トゥ・メンフィス』(リチャード・ピアース監督)
     聖地メインフィスに捧げる、B.B.キングのブルース。
 
  ●『デヴィルス・ファイヤー』(チャールズ・バーネット監督)
     ミシシッピで少年時代を過ごし、実際にブルースを生きてきた
    監督自身の日々を描写した貴重なドキュメンタリー。
 
  ●『フィ−ル・ライク・ゴーイング・ホーム』(マーティン・スコセッシ監督)
     ブルースの起源、西アフリカへの旅。
 
●『ゴッドファーザー&サン』(マーク・レヴァン監督)
   今世紀最大のコラボレーション! ブルース×ヒップホップ
  ブルースに魅せられた男達の物語。
 
●『ピアノ・ブルース』(クリント・イーストウッド監督)
   デュ−ク・エリントンやレイ・チャールズ・ファッツ・ドミノなど
  ジャズ、R&B界のピアノの名手をフューチャーした作品。
  監督の意向により劇場公開されず、すでに8月WOWOWで放送済み。
 
できることなら劇場公開される6本のブルース映画を全て観たかったが、
時間の都合上それも叶わず、
B.B.キングがメインで出演する
『ロード・トゥ・メンフィス』だけは絶対に観ようと思い、
9月24日金曜日、吉祥寺のバウス・シアターまで足をのばした。
 
この日は『ロード・トゥ・メンフィス』上映の最終日にあたり、
夜の8時半頃映画館の前に着いた時には、
悪天候にもかかわらず150人ぐらいの観客でごった返していた。
20時45分から始まるレイト・ショーに、
それもマニアックなブルース映画を観る人などあまりいないだろう
と思っていた私は、その様子に少々驚いた。
客層は8割近くが男性で、
仕事帰りのサラリーマンや学生、ギターを抱えた若者の姿も目立ち、
私のように一人で観に来ている人も大勢いた。
 
満席となった会場にブルースマンの歌声が響き渡る・・・
この映画にはB.B.キングやボビー・ラッシュ、ロスコー・ゴードンなどの
ブルースマンたちやその関係者が登場し、
彼らへのインタビューや回想シーン、ライヴ映像などが次々と流された。
WDIAの映像や黒人達にとって天国だった頃の
ビール・ストリートの様子も映し出され、
我々ファンにとってはその全てが宝物を見ているような状態で
息つく暇もなかった。
 
その反面、現在のビール・ストリートを歩きながら
「昔と変わってしまった」と落胆するロスコー・ゴードンの姿に深い哀愁を覚えた。
彼はこの映画の完成を見ることなくこの世を去ってしまったのである。
 
映画の中で「66歳だよ!」と言っていた
ボビー・ラッシュのブルースマン生活にスポットがあてられていたが、
それが実に濃厚かつ強烈で、一番印象に残った。
 
実年齢より若く見えるボビーは、
派手なシャツとブルーのパンツに身を包み、ギラギラのベルトをしめて
チトリン・サーキット(黒人たちが集まるクラブや安酒場、劇場)を回る。
40年程のキャリアのうち、休んだのは6週間だけだったと豪語するだけあって、
「引退」という言葉はそのルックスからは微塵も感じられない。
 
女性ダンサーと共に歌っている彼の身体からはアドレナリンが放出され、
まだまだ男として脂ぎっているのである。
ボビーはブルースをこの上もなく愛し、
いつかはBBやバディ・ガイのように有名なりたい
という夢を今だに持ち続けているらしい。
 
ボビーが早朝、巡業先から帰宅して、家で髭を剃り、
アイロンがビシっとかかったシックなベージュのスーツに着替えて
教会に行く場面が非常に心に残った。
「土曜の晩は彼女に元気をもらい、
日曜の朝は神から元気をもらうのさ!」と言い放っていたが、
教会でのボビーはステージ上のボビーとは違い、
神をひたすら崇める信者と化していたのである。
牧師様はハンドマイクで一流シンガーのごとく歌い、
会衆は手拍子をしながら身体を揺らして一心不乱に合唱する。
 
この時、黒人達が味わう境地を一体誰が理解できるというのか?
彼らが土曜の晩に過酷な労働や精神的苦痛から解放されて、
酒場で歌って踊りまくる心境を他の誰が実感できるというのか?
「この時を逃したらいつ我々は救われるのか!」
という差し迫った思いがあるからこそ、
そこに全エネルギーを注ぐことができるのだと思う。
そしてその感覚が誰にも真似できない音楽を作る礎のひとつに
なっているのではないだろうか。
 
時は1950年代。
サム・フィリップスがにこやかに歩いている映像が突然画面の中に現れた。
エルヴィスの『That's All Right』がバックに流れ、
エルヴィスがサムや、ジュニア・パーカー、ボビー・ブランドと
一緒に写っている写真も出てきた 。
 
ジュニア・パーカーはエルヴィスのお気に入りの歌手のひとりだ。
彼が歌ってヒットした『Mystery Train』(ジュニアとサム・フィリップスの共作)を
エルヴィスはサン時代にカヴァー(’55)している。
友人のSさんは、エルヴィスと黒人ミュージシャンとのかかわりについて
以下のようなコメントを送ってくださった。

「エルヴィスはよくジュニア・パーカーのライヴを一人で観に行ったそうです。
当時、白人が黒人ミュージシャンのライヴ会場に行くのは
そうとう度胸がいることなのですが、
エルヴィスは有名になる前からどんどん行っていました。
さらに有名になってからも、彼らに尊敬の念で接していた為に
黒人ミュージシャンたちは感激していたそうです。」
 
Sさんによると、
『Reconsider Baby』で有名なローウェル・フルソンのライヴを
エルヴィスが観に行った時、エルヴィスはフルソンから紹介され、
彼の依頼でステージにあがって歌を歌ったということだ。
エルヴィスが他のアーティストのステージでプレイするのは
生涯を通しても非常に珍しいということなので、
エルヴィスがいかに彼らをリスペクトしていたかが
このエピソードからもよくわかる。
1960年、除隊したエルヴィスはフルソンの『Reconsider Baby』をカヴァーした。
 
若きサムが、サン・レコードの扉を開けて中に入った途端、
髭をはやした高齢のサムの顔になり、
エルヴィスの写真が壁一面に飾ってあるサン・スタジオ内でのトークが始まる。
このスタジオで、B.B.キングやハウリン・ウルフ、ボビー・ブランド、
ジャッキー・ブレンストン、ジェームス・コットンなども
歌を吹き込んでいる。
 
トークの相手はアイク・ターナー(ティナ・ターナーの元夫)で
「ここ(サン・レコード)では一切差別がなかった・・・。」
とサムに対して敬意と感謝を示す発言をするが、
話がエルヴィスのことに及ぶと、
アイクは「黒人の真似をした」ときっぱり言った。
しかし、サムはそれに対し
「エルヴィスは黒人と同じぐらい貧しかった・・・
彼は黒人の感覚で歌った。決してコピーなんかじゃない」と反論したのである。
その後、気まずい雰囲気になったのを察して、アイク・ターナーが折れた。
サムは彼の折れ方が気に食わず憮然とした表情をしながら、
それを跳ね除け、気持ちを落ち着かせるかのように
何と自ら『That's All Right』を歌い出したのである。
サムはエルヴィスの感性と才能に心から惚れ込んでいたのだと強く感じた。
 
B.B.キングがインタビューに応えたり友人やファンと話す時は
終始、穏やかな口調で、心の温かさが画面を通じてストレートに伝わってくる。
BBの雰囲気は、私が数ヶ月前にシカゴで会った時と何ら変わりはなかった。
ブルース界の「キング」になり、高級なスーツを身にまとっていても、
BBは思いあがるわけでもなく、貧しかった頃の自分を決して忘れたりはしない。
メンフィスに帰郷した際のライヴ映像が映ったが、
『Nobody Loves Me But My Mother』はルシールの音色も一際輝き、
歌も絶品だった。
 
BBは何気なく話していても、彼の言葉全てに深い含蓄がある。
「7歳の頃から畑に出て綿花を摘み、ラバの後ろについて毎日歩いた。
畑で歩いた距離を全部合わせたら地球を一回りしたことになる!」
などと笑いながら語っていたが、
それがどんなに大変なことだったのか、私には共感してあげることができない。
 
この映画が幕を閉じた時、シーンと静まり返った中に拍手がこだました。
観客の一人一人が「ブルース」と対峙していたと思われるほど
皆真剣に観ていたことが肌で感じられた瞬間でもあった。
「おもしろかった!」とか「感動した!」などといった一言ではかたずけられない、
重い何かがそこにはあったのである。
 
<04・10・1>










      Junior Parker     Elvis   Bobby Bland


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