ライトニン・ホプキンス〜「テキサス・ブルース」


今年の春、友人のNさんから嬉しいメールをいただいた。
「学生時代に友達からもらった
『テキサス・ブルース・マン』というLPがうちにありました。
自分で持っているよりもブルース好きの人にさしあげたいと思います。」
 
テキサスのブルースマンといったら
「ライントニン・ホプキンス」の名前が、いの一番に浮かんでくる。
Nさんが送ってくださったLPは厳重に梱包してあり、
「どんなジャケット写真だろうか・・・?」とワクワクしながら包み紙を開けると、
ライトニンがくわえタバコでニカッと笑っているモノクロ写真が
ワッと目の中に飛び込んできた。
バックにはお酒や肉を売る食料品店、バス、エプロン姿で腕組みをした少年。
それらが実に彼のいでたちとマッチしている。
この生活臭こそライトニン・ホプキンスの真髄だと思った。
カッコいいLPジャケットを見て私は大喜びをし、
しばらくアルバムから目を離すことができなかった。

私がライトニンと初めて出会ったアルバムは、
学生の頃買った「ライトニン・ストライクス」である。
まずジャケットの稲妻の絵に惹き付けられ、
帯には
「ライトニンの代表作と讃えられる一枚!
ダーティーな演唱の中に強靭なブルース魂が比類なき輝きをみせる」
と書いてあったので、
ライトニンのことなど知らずに「これは当たりかな?」と思って買ったのが始まり。
 
歌を聴く前に、中村とうよう氏が書いたライナー・ノーツを読んでみると、
「汚い」という言葉が、これでもかというくらい連発されていた。
でも、それは「醜さ」とは違って、
「美」につながる「汚さ」だというような解説がなされていたので、
なるほどと、その時納得したことは覚えている。
しかし残念なことに、そのアルバムを聴いて当時の私は何も感動しなかった。
なぜなら、今、懸命に思い起こしても、
そのアルバムに針を落とした後の記憶が一切甦らないからだ。
 
次にライトニンの声を聴いたのは、それからずいぶん経ってからで、
ファイア・レコードで吹き込まれたあの有名な曲「モージョ・ハンド」だった。
インパクトあるジャケット写真と共に
「モージョ・ハンド」は私の心の奥深くに浸透し、
晴れて私はライトニンのファンになったのである。
それからは不思議なことに、ライトニンの曲全てに価値を見出すようになり、
これこそ生活と密着したリアル・カントリー・ブルースであると確信するようになった。
 
ライトニンの歌声はいつでもあるがままで、
これが俺のブルースだと言わんばかりである。
ライトニンはその言動や風貌だけみると、
昼間からポーチでお酒をチビチビやりながらギターを弾く
単なる「ヨッパライのおじさん」と思われそうだが、
私からみれば、
歌にしろギターの腕前にしろ、あふれんばかりの才能に満ちている。
 
特に私は彼のギターのかき鳴らし方が好きだ。
リズム感の良さからくる絶妙なストロークで、
単にコードを抑えて弾いているだけでもメリハリがあって音の歯切れが非常に良い。
職人的な技とでも言うのか、彼が弾くと簡単なフレーズでさえ粋で味わい深い。
 
最近見たDVD「ライトニン・ホプキンスのブルース人生」は、
ブルース・ファンにはお薦めの1枚である。
1960年代の後半、ライトニンのホームタウンである
テキサス州ヒューストンで撮られたこのドキュメンタリー・フィルムには
ライトニンの飾らない素顔や生活ぶりが、
彼を取り巻く仲間と同化するように記録されていて、
見終わった途端、「ライトニンの感覚そのものが生きたブルースだ!」などと
ひとしきり感慨にふけってしまった。
彼の歌越しに黒人達のブルース(憂い)も浮き彫りにされていた。
 
ライトニンには、
若い頃ちょっとしたケンカが原因で刑務所送りになったという辛い過去がある。
従事した仕事は架橋工事で、
夕方テントに戻ってくると逃げないように、足を鎖で繋がれたらしい。
寝る時も全員足をクイに繋がれ翌朝食事の時に外される。
過酷な労働が絶えず彼らを待っていて、そのような生活を半年以上も
彼は経験したということだ。
 
ライトニンが陶酔しながらブルースを弾き語っている姿に
人生の哀切や達観といったものを感じる。
その様子を見ていたら
「音楽をカタにはめることはできない。
あるがままでいいではないか・・・
どんな音楽も作り出すのは人間で、
そこには作者のたったひとつの人生がつまっている。
だから簡単に、今回のアルバムの出来は悪いなどとけなすことはできない。」
という思いが湧いてきた。
 
ライトニンだったら、どんな人生でも受容してくれそうだ。
彼の強烈な個性だけではなく、その背後にある人生観も音楽ににじみ出て、
私の心にある種の安らぎをもたらしてくれるのである。
 
 
★ありったけの心を込めてソウルを感じて歌うなら説教師と同じなのさ。
教会では、本物の説教師は本当に聖書を説いて聞かせる。
神様に正直に君達にも解りやすくね。
ブルースを歌うのも同じことさ。
 
★俺がギターを弾く時は心から弾くんだ。
そして俺の俺だけの音楽を演るのさ。
<ライトニン・ホプキンス>
 
LIGHTNIN' HOPKINS:
1912年3月15日、テキサス州センターヴィル生まれ。 本名、サム・ホプキンス。
ギターとの出会いは5歳の時で、
葉巻の空き箱で作ったギターを弾き始める。
22年にブラインド・レモン・ジェファーソンと出会い、
27年にはいとこであるテキサス・アレクサンダーと共に
テキサスにあるレインボー・シアターで演奏する。
 
1930年代は放浪していることが多く、刑務所暮らしも経験。
ヒューストンに移り住んだ後、
ジューク・ジョイントで演奏したりストリートでブルースを歌っていた。
1940年代半ば、
アラジン・レコードから初のシングル「Katie Mae Blues」をリリースし、ヒットを記録。
その後もR&Bチャートにランク・インするような曲を次々にリリース。
戦争を題材にした歌もリリースした。
 
1950年代の終わり頃、白人がライトニンを探しにヒューストンまで来て、
その後ロスやニューヨークでも歌うようになる。
59年には「The Root Of Lightnin' Hopkins」をフォーク・ウェイからリリース。
その後、不朽の名作「Mojo Hand」をファイア・レコードで吹き込んだ。
1964年、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルのツアーで
ヨーロッパを訪れた際に「モージョ・ハンド」を歌う。
1978年に来日。1982年1月30日、ヒューストンで病死。享年69歳。
 
<04・9・17>


「ライトニン・ホプキンスのブルース人生」