エルヴィスのリズム〜「ザッツ・オール・ライト」


2004年はエルヴィスのデビュー50周年という記念すべき年にあたる。
7月31日からは、
映画「エルヴィス・オン・ステージ/スペシャル・エディション」が公開され、
8月1日には東京メトロでエルヴィスのパスネットが発売開始となった。
 
そのパスネットにエルヴィスの名前と共に記されている曲は
「ザッツ・オール・ライト」である。
 
今から50年前の1954年7月5日、エルヴィスの「ザッツ・オール・ライト」は
サム・フィリップスが見守る中、メンフィスにあるサン・レコードで吹き込まれた。
当時エルヴィスは19歳。
 
エルヴィスは1953年の7月と翌年の1月の2回に渡って
自らサムの経営するメンフィス・レコーディング・サーヴィスを訪れ、
自主録音を行っているが、
そこで歌われた曲は
「マイ・ハピネス」や「心のうずく時」などのしっとりとしたポップス調のバラードで、
「ザッツ・オール・ライト」のようなR&Bの曲ではなかった。
 
エルヴィスは、黒人音楽を流すラジオ番組
「 レッド・ホット・アンド・ブルー」を密かに聴いていたので、
R&Bの曲は数え切れないほど知っていたはずだ。
でもエルヴィスにとって歌は自然と口をついて出てくるもの。
いつ、どこで、どのようなタイプの歌を歌うかは
エルヴィス自身、自分の感性に委ねていたにちがいない。
感じるまま、つまりエルヴィスが本能に従って歌を歌う時、
それは最高の歌となって聴くものを魅了する。
 
自主録音の時、エルヴィスは戸惑いを感じながらも
平常心を装って「一人」でスタジオに入って行った。
スタジオ内はシーンと静まり返っているのである。
そうした状況の中で、
いきなりR&Bを歌う気持ちにはなれなかったにちがない。
 
エルヴィスにとってR&Bは、
「マネー」を得るための音楽というよりは、
激しいビートを感じることで心が解放され、
身も心も軽くなっていくという
「まじない」的な音楽という色合いが強かったのではないか。
 
ところが、サン・レコードのサム・フィリップスは違っていた。
「二グロのサウンドとフィーリングを持った白人歌手がいたら
百万ドル稼いでみせるんだが・・・」
これが彼の口ぐせだった。
 
エルヴィスはサムに呼ばれて7月5日〜6日、
サン・レコード・スタジオで初めてのレコーディング・セッションを行った。
7月5日、「ザッツ・オール・ライト」のメロディーは
突然エルヴィスの口からほとばしるように流れてきたのである。
それは録音が思うようにはかどらず、プレッシャーが重くのしかかってきた時だ。
これでサムに認められなかったら、歌手になる夢は絶たれる・・・・
そんな追い詰められた時にエルヴィスはこの歌を歌い出した。
まるで何かにとりつかれたかのように。
 
サムはエルヴィスの歌声に度肝を抜かれた。
その5日後、エルヴィスの「ザッツ・オール・ライト」は
「レッド・ホット・アンド・ブルー」で流され、
アンコール続出という大反響を呼んだのである。
ラジオを聴いた者は、エルヴィスのことを黒人だと思ったらしい。
それほど彼の歌声は黒っぽかった。
 
なぜ「黒人」っぽいのかというと、
それはエルヴィスのリズムの取り方にあると思う。
アーサー・クルーダップが歌う
オリジナルの「ザッツ・オール・ライト」を聴いたことがあるが、
エルヴィスのリズムの取り方が彼とそっくりなのである。
もちろん歌い方はところどころ違うが、基本となるリズムの躍動感が同じなのだ。
エルヴィスはブルースのリズムの特徴である「シンコペーション」を自由自在に操り、
臨機応変に音を前後にズラしながら歌っていく能力をすでに身につけていた。
 
本来は弱拍のところに強拍をもってくることによって
魅力的なリズムが生まれる。
エルヴィスはルールや原則に囚われず、自ら培った感性で
音を「クワセ」たり「タメ」たりして、
彼にしか表現できない心地よい「間」を作り出していった。
 
小節の最後の言葉にアクセントをおいて音を粘らせたり、
投げ捨てるように歌うことも彼は自然にやってのける。
 
エルヴィスが、ビル・モンローの「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」を、
本来は3拍子のワルツなのに、4拍子のR&B調にして
何の違和感もなく歌うことができたのは、
こうしたリズムの遊び、
すなわち独自の「シンコペーション」を持っていたからだと思われる。
 
エルヴィスはカントリーも大好きでよく歌っていたが、
エルヴィスが歌うとどうしてもR&B調になってしまう。
その理由は彼のリズムの取り方が
明らかにカントリー・シンガーのそれとは違ったからだ。
 
私にとって一番のエルヴィスの魅力は、
この天才的ともいえるリズム感の良さにある。
エルヴィスの歌を聴いていると、スタイルやニュアンスはカントリー、
フィーリングはゴスペル、リズムはブルースから多くのものを学び、
それらを融合させて表現していることに気がつく。
エルヴィスは声質も良く、ルックスも申し分ない。
しかし、それだけではサムの目には止まらなかったはずだ。
 
サムが言うところの「二グロのサウンドとフィーリング」とは、
ゴスペルとブルースが合体したもの。
つまり、「身体の底から湧き起こってくる原始的な魂の発露を伴った霊性と
自他共にトランス状態に入れるような黒人のリズム」を意味していて、
エルヴィスはそれを卓越した感性で学び、
体得することができたのだと思っている。
それは頭で考えたり理性で表現できるものではなく、
本能に近いレベルでしか表現できないものなのだ。
 
 
★ロックンロールというのは、要するに白人ティーンエイジャーのために書かれ、
演奏されたリズム&ブルースのことだ。
 
ロックンロールという大きなうねり、革命については、私も好ましく思っていた。
ある意味で
ブラック・ミュージックの美しさが受け入れられたということでもあるわけだし、
ロックンロールのルーツは、
私のルーツ、ミシシッピ・デルタまで遡るものであるわけだ。
それはブルースから生まれたものなのだ。
 
誰にもましてロックンロールを加速した男はエルヴィスだろう。
1956年、私がメンフィスの家に戻った時、彼はすっかり人気者になっていた。
 
貧しい黒人の子供たちのためにWDIAがスポンサーになって
年1回行われていた慈善コンサート、「グッドウィル・レビュー」にも彼は出演して、
スターにふさわしい歌を聞かせた。
 
時は50年代だ。
白人の若者が全員黒人の観客を前にするには、かなりの勇気がいる。
だが、彼は自分のルーツを誇りに思っていることが誰にも伝わった。
ショウが終わると、彼は私のことを、まるで王族のように扱ってくれて
一緒に写真に収まってくれることも忘れなかった。
彼はまわりの人たちに、私も彼に影響を与えたひとりなのだと言ってくれたが、
それがほんとうなのかどうかはわからない。
ただ、彼が音楽的成長に影響を与えた街としてメンフィスを選んでくれたことが、
私には嬉しかった。
 
エルヴィスに対して悪い感情はいっさいない。
彼は誰かから音楽を盗んだわけじゃない。
聞いて育った音楽に自分なりの解釈をしただけだ。
私にも同じことがいえる。他のみんなにも同じことが言えるのだろう。
エルヴィスは正直だったと思う。
 
<B.B.キング>
 
<04・8・28>