ビートルズの出現
 

10年程前に買った「ビートルズ/レコーディング・セッション」(シンコー・ミュージック刊)を、
今、読み返している。
この本には、 ビートルズがアビィ・ロード・スタジオなどでおこなった、
1962年から70年までのレコーディング内容が詳細に書かれていて興味深い。
著者はビートルズのオーソリティーとして知られるマーク・ルウィーソン。
 
私がビートルズをよく聴くようになったのは19歳の頃だ。
それまで、好きな曲はいくつかあったものの、アルバムを買いそろえて
熱心に聴くまでには至らなかった。
ところが友達になったクラスメイトのK君が
音楽サークル「ビートルマニア」に入っていたことから、
ビートルズがより身近な存在になっていったのである。
 
K君のパートはベースで、ポールと同じへフナーのヴァイオリン型ベースを弾いていた。
マニアは何事にもこだわるらしい。
11月の学園祭で、K君の演奏を観に行ってビックリした。
当然のごとく曲は完全コピーで、服装もビートルズ。
ジョンやポール役の人は、立ち方や身振り、顔の表情まで似せている。
一番印象に残っているのはジョンのそっくりさん。
顔や体型も似ていて、歌声まで同じだった・・・
 
ビートルズの音楽で好きな点は、「サウンド」と「ハーモニー」である。
エルヴィスに関して言えばあの「歌声」だ。
それぞれが個々に素晴らしいものを持っていて、
その良さを比較することはできない。
 
エルヴィスに触発されてロックンロールを始めたジョンとポールだが、
「ビートルズ」というバンドを発掘したのは、
辣腕マネージャー、ブライアン・エプスタインである。
エプスタインはクラブで演奏するビートルズを一目見て気に入り(特にジョン)、
この4人のグループをレコード・デビューさせるべく奔走した。
その頃のビートルズの服装は黒の皮ジャンで髪型はリーゼント。
デッカ・レコードのオーディションに2度落ちている。
 
しかしエプスタインの懸命なアプローチの結果、
EMI傘下の小さなレコード・レーベル、
パーロフォンで
プロデューサーをしていたジョージ・マーティンが
ビートルズの音楽に耳をとめた。
そして彼はEMIのアビィ・ロード・スタジオでビートルズに会うことになったのである。
1962年の6月6日のことだった。
 
ジョージ・マーティンの前で演奏した曲は4曲。
その中にデビュー・シングルとなる「Love Me Do」と
「P.S. I Love You」が含まれている。
彼は「特によくもないが悪くもない」と思い、
「どうせ失うものは何もないさ」と思ってこのグループと契約することを決めた。
こうしてビートルズは、EMIのアーティストになったのである。
イギリス紳士を思わせるジョージ・マーティンは、
その後ビートルズのプロデューサーとして数々の名盤を作り出していく。
 
ジョージ・マーティンはクラシック音楽に精通していて、その良さをポールに教えた。
一方で彼は既成概念にこだわることなく、ポールがマーティンの知らない音楽の
「この部分を使いたい」と言った時も理解を示した。
マーティンは彼らの音楽センスを尊重し、そして信じたのである。
 
ビートルズがデビュー当初、目指した音楽は何だったのか?
これに関して「ビートルズ/レコード・セッション」の巻末で
ポールは次のように述べている。
 
★いつもレコーディングを第一に考えていた。
TV出演や映画は二の次で、もしスターになれたらそれもいいなと思ったけど、
一番大切なのはレコードを出すことだった。
僕らもレコードを買ったし、レコードというのは音楽の通貨だったのさ。
僕らは人のレコードのB面収録曲をよくレパートリーにした。
「Shot Of Rhythm And Blues」とか、あまり知られていない
R&Bの曲を世に出そうとしたんだ。
それまではクリフ一色だったからね。
僕はエルヴィスみたいになりたかった。
僕らは黒人アーティストが大好きでね。
彼らのレコードはどれもごくベーシックなものだった。
それにバディ・ホリーの3コード。
僕らの夢は、単にレコーディング・アーティストになることだったよ。
 
ビートルズが特定のサウンドを求めていたとすれば、それはR&Bだ。
僕らがいつも好んで聴き、あんな風になりたいと思っていたのはR&Bだからね。
一言でいえばブラック。アーサー・アレクサンダーさ。
 
へヴィなR&B。ボ・ディトリーみたいなの。
ジョンとステュアートが美術学校の学生で、
僕とジョージが隣りのグラマー・スクールに通っていた頃、
僕らは土曜の晩になるとジョンのフラットに泊まりに行った。
・・・誰かが蓄音機を持っていて、ジョニー・バーネットの
「All By Myself」を聴いたよ。
ジョニー兄弟のドーシーも参加しているレコードで、最高だった。
彼らはブラックになろうとしていたんだ。

エルヴィスだってアーサー・’ビッグボーイ’・クルーダップになろうとしていた。
僕ら-結成当時のビートルズは、エルヴィスやジーン・ヴィンセント、
リトル・リチャード、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノといった人たちみたいに
なろうとしてた部分があるね。
でも反面、それ以上に埋もれた人たちに憧れてもいたよ。
・・・どんなミュージシャンが好きかと訊かれると、
僕らはいつも「ブラック、R&B、モータウン」って答えた。
 
「Love Me Do」ではブルースをやろうとしたんだ。
白っぽくなっちゃったけど、それは仕方ない。
僕らは白人だし、リヴァプールの未熟なミュージシャンでしかなかったんだもの。
黒っぽいサウンドを作れるほどの技術は持ち合わせてなかったよ。
だけど、僕らが初めてブルージーな音楽を試みたのが
「Love Me Do」なんだ・・・
<ポール・マッカートニー>
 
「Love Me Do」は1958年のある日、ポールが大部分を書き、
ジョンがミドルの部分を手伝って二人で書き上げたそうだ。
 
この曲を11歳のスティングは
たまたま友人達と公営プールで
泳いでいる時に聴いた。
彼はその溶け合ったヴォーカル・ハーモニーと
魅惑的なハーモニカに惹きつけられる。
この音楽は少年たちに、圧倒的な、
ほとんど霊的と言っていいほどの衝撃を与えた。
その場で彼らは立ち上がり、裸のまま踊り出した。
ビートルズの音楽に深く心を動かされれたスティングが、
一生を音楽に捧げようと決意したのはこの瞬間だったらしい。
 
1962年10月5日、イギリスのパーロフォン・レーベルから
「Love Me Do」の入ったファースト・シングルをリリース。
このシングルはチャート・インし、最高17位まで上がった。
2枚目のシングル、
1963年1月11日にリリースされた
「Please Please Me」が
グループ初のイギリスにおける
ナンバー1シングルとなり、
この成功によって急遽アルバムの
制作が行われることになる。
 
最初リリースを拒否していたアメリカだったが、
キャピトル・レコードから1963年12月26日に出された
「I Want To Hold Your Hand」が大成功。
アメリカのチャートで初のナンバー1を獲得した。
これを契機にビートルズはアメリカで大ブレイクし、
世界的に名を残すバンドに急成長していったのである。 
 
<04・2・20>