ジミ・ヘンドリックス


年末に、ギタリストのKさんとお会いすることになった。
Kさんはジャズに精通していて、
高校時代はジャズ喫茶にいりびたっていたらしい。

私はジャズと言ったら、有名なアーティストの名前ぐらいしか知らないので、
深い話はほとんどできない。
でもそれでは失礼にあたると思って、
おそるおそるお気に入りのギタリストの名前を伺ってみた。
いただいたお返事によると・・・

「近頃はあんまり ジャズらしいジャズはやってないんだけど。
ジャズだと一番好きなギターは、パット・マルティーノかなあ。
ジャズ弾くときに使ってるギターはタル・ファーロウモデルなんだけどね(^_^;)。
ジョン・スコフィールドなんかも大好きです。
でも今はジェフ・ベックとジミ・ヘンドリックスに凝ってるので、
結構ぎんぎんのファンクロックギタリストだよん(^_^;)」

・・・初めて聞くジャズ・ギタリストの名前。
1回で覚えられないから、思わずメモをとってしまった・・・

ジミ・ヘンドリックスとジェフ・ベックなら知っている。
でも、よく考えたら、私はこの二人のギターをまともに聴いたことがない。
音を聴かされても区別ができない。
「これは大変!」と思って、とりあえず図書館に行ってジミ・ヘンのCDを2枚借りてきた。
ジミ・ヘンは今年の夏、
アメリカのローリング・ストーン誌に発表された偉大なギタリストのトップ100で、
1位に輝いたスーパー・ギタリストだ。

ジミ・ヘンの映像を最初に見たのは、初めてベースを買った楽器店だった。
そこには大きなモニターがあり、サイケデリックな衣装を着て
「アメリカ国歌」を弾く、黒人のギタリストが映し出されていた。
その音、雰囲気があまりにも「壮絶」だったので、
呆然としながら見ていた記憶がジワジワとよみがえってくる。

借りたCDのうち、「アメリカ国歌」が入っている
「THE ULTIMATE EXPERIENCE」の方から聴いてみた。
20曲のうち、トップはボブ・ディランの「All Along The Watchtower」をカヴァーしたもので、
あとの2曲を除いて、他は全て彼の名前がクレジットされている。
1曲目を聴いた瞬間から、彼のギター・フレーズのカッコよさと凄まじさに驚いた。
彼は歌を歌っている最中も、指はかなり込み入ったフレーズを弾くので、
無知な私は、他にヴォーカルがいるのかと思った。
オリジナルのイメージを損なわないような歌い方。
ボブ・ディランの音楽に、ジミは傾倒していたにちがいない。

ジミの写真が多数アルバムに添付されていた。
2歳ぐらいのあどけないかわいらしい姿や、
ギターを肩からかけてやんちゃな笑顔を浮かべる少年時代の写真もある。
ジミの指は細くて長い。まるでロバート・ジョンソンの指みたいだ。
とても器用でデリケートな印象を受ける。
高度なテクニックを駆使して、ワイルドにギターを弾く彼の姿を
もう一度観てみたいと思った。

もうひとつのアルバム「モンタレー・ポップ・フェスティバル・ライヴ」には、
ブルース・シンガーのハウリン・ウルフやB.B.キングの曲をカヴァーしたものが入っている。

「キリング・フロアー」(ハウリン・ウルフ)のイントロは、
シンプルなリフの繰り返しから始まるが、
そこにジミの素晴らしい才能の凝縮を感じた。
抜群のリズム感と絶妙なストロークの入れ方。
シンプルなフレーズは耳に残りやすい。
しかし、そこに技術と個性がないと、聴く者は退屈してしまう。
このリフを延々と聴いてもいいと思った。
このようなアジのあるフレーズの繰り返しは、
ブルース・ギターではよく使われる。
彼はロック・ギタリストだけど、
ブルースからも影響を受けていることがわかった。

B.B.の「ロック・ミー・ベイビー」はジミ・ヘンのお気に入りらしく、
後に歌詞を差し変えて「ラヴァー・マン」というタイトルに改作して、
いくつかのアルバムに収録したらしい。
オリジナルとは全く違う、アップ・テンポのロックにアレンジされていたので、
これにはビックリした!

ジミ・ヘンのギターに惚れ込む人は後を絶たないだろう。
彼のギターには、「規範」とか「モラル」とかいったものを突き抜ける
何ものにもとらわれない破壊的なエネルギーがみなぎっている。
「泥臭いけど洗練されている」「天才的な才能と破天荒な行動」
これらの要素がギターの弾き方やフレーズに表れていて、
それが彼の魅力につながっていると思った。
でもその裏側には、何か満たされない、寂しくすさんだ心が
隠れているような気がしてならない。

★もうこの世にいない人間が、
人びとの崇拝の対象になるというのはおもしろい現象だ。
死ねば成功を手に入れられるんだ。
<ジミ・ヘンドリックス>


ジミ・ヘンドリックス:JIMI  HENDRIX
1942年ワシントン州シアトル生まれ。
本名、ジェームス・マーシャル・ヘンドリックス
12歳の時、父親にギターを買ってもらい、
左利きのジミは独学でギターをさかさまにして弾く事を覚える。
その頃影響を受けたギタリストは、
マディ・ウォーターズやB.B.キング、チャック・ベリーだった。
60年代の初め、
B.B.キングやサム・クック、リトル・リチャードなどのバックとしてツアーに同行。
66年頃から「ジミ・ヘンドリックス・エクスぺリエンス」を結成する。
黒人とチェロキー・インディアンの血をひく彼のサウンド、
ギター・プレイは今までにない革新的なものだった。
ギターを歯や背中で弾いたり、ライヴの最後にはギターを叩き壊したり、
火をつけたりという過激なパフォーマンスも披露し、観衆の度肝を抜いた。
67年のモンタレー・ポップ・フェスティバルでは、「天才」と絶賛され、
その後無名だった自国、アメリカのツアーでも大成功を収めた。
しかし、ドラッグの常用が徐々に彼を破滅の道へと追い込み、
1970年、ロンドンで薬物中毒が原因により27歳で夭逝した。

<03・12・19>