ルイ・アームストロング 〜「この素晴らしき世界」


先日友人の家に遊びに行ったら、壁一面にCDが並んでいて
思わず目を奪われてしまった。
ステレオのスピーカーの装備も尋常ではなく、
いかにも「通」といった感じ。
「すごいCDの量ですね!」と言いながら、席につくことを忘れてCDを眺めていると、
全てジャズではないか・・・
どうもその友人の旦那様が中学時代からの熱狂的なジャズ・ファンらしく、
彼女も最初はジャズに全く興味はなかったが、
今では立派なジャズ愛好家になってしまったという。

しばらくジャズの話に花が咲いた。
と言っても私はジャズに疎く、ただ教えてもらうだけである。
ご夫婦とも一番好きなジャズ・アーティストは「マイルス・デイヴィス」だそうだ。

私自身、ジャズ・シンガーと言った時にすぐ頭に浮かんでくるのは、
「ナット・キング・コール」と「ルイ・アームストロング」(愛称サッチモ)である。
二人の共通点は、最初、器楽奏者からスタートしたということ。
前者はピアノで後者はコルネット。
ところが、そのうち歌も歌いだすようになり、
一流のジャズ・ヴォーカリストとして世界的に有名になった。
私はもともとナット・キング・コールの美声が好きで、
「クリスマス・ソング」や「モナ・リザ」「アンフォゲッタブル」などがお気に入りの曲だ。

それとは対照的に、ルイ・アームストロングのダミ声は当初苦手だった。
どちらかというと、人間の感情を絶妙なトーンと情感豊かなフレーズで表現する、
彼のトランペット演奏の方が好きだった。

ある時、テレビで音楽のCMが流れていた。
たしか、名曲をとりあげたオムニバス盤か何かのCMだったと思う。
アルバムに入っている曲が、いくつか紹介され、
ある曲がスッと心の中に入ってきた。
「ルイ・アームストロングの声だ・・・」
この素敵な曲は・・・?  「この素晴らしき世界」だった。
今までに、これほど彼の低くうなるしわがれ声が、
味わい深く、温かみを帯びて聴こえたことはなかった。

歌を歌ったり、楽器で曲を演奏する時、
浮き彫りにされるものは、表現者の「スピリット」だと思う。
ルイ・アームストロングに関して言えば、私は声質だけにとらわれていて、
彼の歌声ににじみ出る大切なスピリットに気づかないままでいた。

「この素晴らしき世界」は1967年、ベトナム戦争のさなか彼が66歳の時に歌った曲で、
のちに「グッド・モーニング・ベトナム」という映画に使われ、
88年に大ヒットした。
今でも世界中で愛されている曲。

当時、この歌を聴いて兵士達は戦争に行った。
どんな思いで戦場に向かったのか?
どんな気持ちで彼はこの歌を歌ったのだろうか?
戦争で日々多くの命が犠牲になる中、
「WHAT A WONDERFUL WORLD」に秘められたメッセージとは?

・・・この歌は慈愛と達観に満ちている。
この歌には願いが込められているのだ。
憎しみや闘争は何ももたらさない。
思いやりの気持ちと愛情を互いに持てば、この世界はいつでも
素晴らしい世界になりうるのだということを。
きっとルイ・アームストロングはそんな思いをこめながら、
この歌を歌ったにちがいない。
彼の屈託のない笑顔を思い浮かべる度にそう思う。


★ルイ・アームストロングこそ最も重要な人物だ。
つまり、アメリカの音楽に最も影響を与えた最初の人物なんだ。
彼はこの音楽にとって、巨人神のような存在だった。
彼の初期の演奏を聴いてみるといい。
ルイ・アームストロング以上のブルース歌手、演奏者がいたかい?
自分で歌う以前は、ベッシーなどのバックで吹いていたが・・・
演奏の洗練度は他の比ではなかった。
<アルバート・マレイ/ジャズ評論家>

★サッチモはアメリカ音楽の始まりであり、終焉である。
<ビング・クロスビー>


ルイ・アームストロング:LOUIS ARMSTRONG
本名、ルイ・ダニエル・アームストロング
1901年、ニューオリンズの極貧の家に生まれる。
「キング・オブ・ジャズ」と呼ばれ、アメリカの音楽の発展に
多大な影響を与え、スキャット唱法も生み出した。

13年頃、路上で母親のピストルを持ち出して発砲事件を起こし、
施設に送られた。
しかし、この黒人浮浪児養護施設でコルネットを吹くことを覚え、
音楽によって彼は救われる。
施設を出た後、地元のあちこちのバンドで吹き、同じコルネット
奏者のジョセフ・キング・オリバーと出会う。
オリバーはルイを高く評価し、自分がシカゴに行くことになると、
そのバンドの後釜として、ルイをリーダーに紹介した。
後にオリバーはルイをシカゴに呼びよせ、ルイはキング・オリバー
楽団の一員として活躍。その後、同じバンドのピアニストと結婚し、
これを機にバンドを脱退。

20年代の終わり頃には大編成の楽団を率いるようになり、30年頃
からはトランペットを吹くことに傾倒。
またこの頃から盛んに歌も吹き込むようになる。
彼が最高の男性ジャズ・シンガーといわれるゆえんは、
50年代に完成された表現力にあると言われる。
「ブルーベリー・ヒル」や「バラ色の人生」などのポップスも
好んで歌った。1971年、ニューヨークの自宅で永眠。


「この素晴らしき世界」  G.P.Weiss/G.Douglas

木々の緑 赤いバラ
君と僕のために美しく輝いている
僕は独り想う
何て素晴らしい世界だろうと
空の青さと雲の白さ
明るく幸せな日々 神聖な夜
僕は独り想う
何て素晴らしい世界だろうと

七色の虹が大空に映える
行きかう人々もにこやかで
「コンニチワ」
と友だちが手を握り 挨拶を交わし
心の底から
「愛している」とささやく
赤ちゃんの泣き声が聞こえる
あの子たちは大きくなって
僕の知らないことを沢山学ぶのだろう
僕は独り想う
何て素晴らしい世界だろうと

<03・11・21>