菊田俊介さん 〜シカゴのブルース・ギタリスト


菊田さんの名前を初めて知ったのは、
「blues & soul records」という雑誌です。
「シカゴ・ブルース通信」という記事を連載されていて、
「本場のシカゴで頑張っていらっしゃるなんて素晴らしい!」
とその時思いました。

その後聴いた、ジュニア・ウェルズの追悼盤、
「ザ・ベスト・オブ・ヴァンガード・イヤーズ」というアルバムの
ライナー・ノーツを菊田さんが書かれていて、
興味深く読ませていただきました。
特に、ジュニアが菊田さんに話してくれた、「ハープ事件」の話は
私が聞いていたものと違っていましたので、ひとつの発見になりました。
ジュニア本人の言葉ですから、その時の模様が目に浮かびます。

12歳のジュニアが、生涯最初のハーモニカを質屋に買いに行ったら、
1ドル50セントしか持っていなくて1ドル足りなかった。
そこに居合わせた人の「外でプレーしてみろよ」という言葉で、
盗む気はなかったのに外に持ち出したら、店のオーナーから
警察に通報されてしまい、裁判沙汰になってしまったという話。

「・・・裁判の時ジャッジ(裁判長)に
『一度店の外に出たら、ハーモニカを盗んだことになるんだよ』と言われたよ。
で、彼がそこで吹いてみなさい、と言うからハーモニカを吹くと、
傍聴席にいた連中がジャンプしたり踊りだしたりしてジャムになっちまった。
これを見たジャッジは『君がレコードを出す時に返しなさい』と言って
残りの1ドルを払ってくれたんだ。
俺は彼のしてくれたことをずっと忘れなかったぜ。
アルバムがでたときに、早速金を返そうとしたんだけど、
その人はすでに亡くなっていたから、彼の息子に1ドルを渡したよ。」
というジュニアの言葉と、ジャッジの温かい気持ちが胸にしみました。

この夏、友人のライヴを観に行った時、
たまたまシカゴに住むミュージシャンとお話しをする機会があり、
その時に菊田さんの話題が出たのです。
その方は、
「彼は日本人のブルース・ギタリストで、大活躍をしているのよ!
アジアからシカゴにブルースをやりにきているのは日本人ばかり・・・
どうして日本人はブルースに惹かれるのだろう?
ねぇ、論文書いて解明して!」とおっしゃっていました。

私は「井の中の蛙」で、
日本人の方がどのくらいアメリカに渡ってブルースをやっているのかわかりません。
その時の彼女の言葉が、ずっと頭から離れませんでした。

それで、菊田さんのHPを早速拝見させていただきました。
プロフィールを見たら驚きの連続で、
前向きな行動、音楽に対する向上心、積極性、
そして何よりもブルースへの情熱があふれていて、感動してしまいました!
ジュニア・ウェルズやオーティス・ラッシュとも共演された経験をお持ちの菊田さんですが、
最初はストリート・ミュージシャンから出発されたとのこと。
身一つでシカゴに行って、ブルースをやることは並大抵のことではありません。
その心意気と努力には脱帽です。
同じ日本人として、とても嬉しく思いました。

菊田さんの日記には、あの「B.B.キング」と共演された時のことも書いてあります。
B.B.の優しそうな人柄が、ジワジワ伝わってきて、
ひとり、その喜びに浸っておりました・・・

これからも日本人のブルース・ギタリストとして、
ますますご活躍されることを、心からお祈りしています。

菊田俊介さんから、シカゴより以下のメッセージをいただきました。
お忙しい中、本当にありがとうございます!

「BBキングは懐の大きなすばらしい人でした。
学校での教育はあまり受けていなくても、人生の経験から多くのことを学んで
自分を良くする智恵をたくさん持った人だなあ、というのが彼に会って感じたことですね。
以前、BBの前座で2回ほど演奏させていただいたのですが、
御会いするチャンスがなくて、本人も高齢なので会う機会はないかもしれない、
とあきらめていたので突然の共演は本当に嬉しかったですね。
『ギター・マガジン』と、『ブルース&ソウル・レコード』の2つの雑誌に
毎号コラムを書いているのですが、次号はBBキングとのライブのことを書きますので、
時間があったら読んでみてください。」

菊田俊介さんは1966年栃木県宇都宮市生まれで、
B.B.キングの「ライヴ・アット・ザ・リーガル」を聴いて
ブルースの世界へ入られたそうです。
バークレー音楽大学を卒業後、単身シカゴへ。
現在はココ・テイラーのバック・バンドのパーマネント・メンバー
としても活躍。ココから絶大な信頼を得ています。

<03・11・14>