B.B.キング〜 キング・オブ・ザ・ブルース


「B.B.キング」という響き・・・
名前を聞いたとたん、その人の顔とイメージが頭の中にフワッと浮かんでくる。
私の脳裏に浮かんでくるB.B.の表情はいつも変わらない。
おおらかで、人を包み込むような笑顔と、目を閉じて陶酔しながら歌う姿。
そして、ドラマチックでエモーショナルな歌声と、
ビブラートのかかった、厚みのあるギターの音色が同時に聴こえてくる。
B.B.の歌とギターには、ハートフルな彼の温かい心が宿っている。

彼は、いかにギターをうまく使うかということを絶えず考え、
ジャズのスタイルを取り入れるなど、自分の弱点を克服するべく努力を怠らなかった。
そして、彼のギター「ルシール」を最愛の女性のごとく愛した。
自分のギターに名前をつけて、これほどまで愛した人がB.B.の他にいるだろうか?

私は20歳の時、ブルースに出会った。
どんなブルース歌手がいて、どのアルバムがお薦めなのか、ということは
先輩に聞けばすぐわかる。聞くのは簡単だ。
でも、どうしても自分で見つけてみたかった。
だから何もわからないままレコード店に行き、
「ブルース」というラベルがあるコーナーに行って、
手当たり次第レコードのジャケットを見ていった。
当時は、今よりもブルースのレコードがたくさんあったように思う。

その時気が付いた事は、
「B.B.キング」という人のアルバムが、とにかく、たくさんあったこと。
「きっとこの人は有名なブルース・シンガーなんだ・・・」と思って
とりあえず買ったアルバムが「ライヴ・アット・ザ・リーガル」だった。
まさかこのアルバムが、B.B.の最高傑作と言われているものだったなんて、
その時は知るよしもない。

B.B.のサウンド・・・ギターのフレーズ、ひとつひとつに彼の心が入っている。
だから同じ音をまた弾いても、同じようには聴こえない。
あのフレーズや音を聴くだけで、B.B.のものだとわかる。
ロマンチックで甘く叙情的な音色。
歌い方もオリジナリティーにあふれ、
深みのある声、メリハリのある唱法は、
まるでゴスペルを聴いているかのようだ。

なぜB.B.が「キング・オブ・ザ・ブルース」と呼ばれるのか?
彼はブルースの伝統を重んじつつも、常に新しいものと向き合い、
リスナーの関心をそらさなかったからではないか。
彼のギターは、時代と共に、より流麗に洗練されていったのである。
そして、彼はさまざまなジャンルの音楽を聴いていた。
彼の自叙伝「だから私はブルースを歌う」には、数多くのミュージシャンの名前が登場する。
B.B.は時間さえあれば、愛するシンガーのテープを聴いたり、
他のミュージシャンのライヴを聴きに行って、好きな音楽に浸っていた。

B.B.の心の広さには驚く。
受け入れる音楽だけでなく、人間に対しても広い懐を持っている。
技術的に優れているだけで「キング」になれるのだろうか?
音楽に対する向上心やバイタリティー、
そしてまわりの人に対する気配りがあったからこそ、
B.B.の人気は今でも続いているのだと思う。

今年の9月16日で78歳になったB.B.は、今なお現役で活躍している。
この夏、「reflections」というアルバムを出したばかりだ。
ナット・キング・コールの「イグザクトリー・ライク・ユー」で始まり、
アイヴォリー・ジョー・ハンターの「アイ・ニード・ユー・ソー」や
彼の二大アイドルの一人、ロニー・ジョンソンの「トゥモロウ・ナイト」
カントリー・ナンバーの「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」も入っている。
この3曲はエルヴィスもカヴァーした。
最後はルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。

B.B.がこのアルバムで伝えたかったこと。
それは、自分が影響を受けた音楽、愛した音楽を、
慈しみと感謝の心をもって表現したいという思いではなかろうか。
B.B.はブルース・シンガーだが、カントリーやポップスも好きで、
フランク・シナトラもお気に入りの歌手だった。
ジャンルを超えて、たくさんのミュージシャンとも共演している。
B.B.のスケールの大きさは、
広い視野を持って音楽を聴いていたことからくるものなのかもしれない。

B.B.は71年に初来日して以来、幾度となく日本の地を訪れている。
残念ながら、私はまだB.B.のライヴを聴きに行ったことがない。
この先、来日することはないかもしれない。
無理をしてでもB.B.を観に、アメリカに行きたいという思いが最近募ってきた。

高齢で、私の思い描くギター・ソロを弾くB.B.ではないかもしれない・・・
あの力強い包容力に満ちた歌声はもはや聴けないかもしれない・・・
それでも私はB.B.に会いに行きたい気持ちで一杯だ。
そこにいて、「ルシール」を弾いてくれるだけでいい。
きっと会えただけで、心から幸せだと思えるにちがいない。
私にとって、B.B.の存在を目の当たりにすることは、
全身で「ブルース」を感じることと一緒なのだ。


★われわれ(ブラック・アメリカン)にとって、ブルースはほとんど神聖なものなんだ。
ゴスペル・ミュージックみたいなものだね。
それはわれわれの文化のひとつ、わたしたち自身の一部なんだ。
ブラック・ピープルがいるかぎり、ブルースはつねにありつづけるのさ。
わたしはただのブルース・シンガーさ、それ以外の何者でもないよ。

★ロニー・ジョンスンも間違いなくブルースマンなのだが・・・
ロニーが彼のいちばん有名なバラード、「トゥモロウ・ナイト」を歌う時、
私は彼がブルースを超えた場所に、
それでいてブルースから決して離れていない場所に到達したのだと思った。

★子供の頃、私にとってブルースは
希望と興奮とピュアなエモーションを意味していた。
ブルースとは感情のことだった。
アーティストたちの感情をひきだし、
子供だった私の感情を引き出してくれたもの。それがブルースだった。
踊りたい。歌いたい。師のギターを手に取って、
どうすればあんなすごい音が作りだせるのかが知りたい。
そう思わせてくれたのがブルースだった。
<B.B.キング>


B.B.KING
1925年、ミシシッピ州インディアノーラ生まれ。
本名、ライリー・B・キング。
幼い頃、最愛の母を亡くし、10歳から13歳頃まで農園で一人暮らしをしていた。
18歳頃からブルースを歌い始め、スライド・ギターを試したこともあったが、
うまく弾けず断念。そのかわり、ボトル・ネックを使わずに
独特なビブラートをかけて音を出す、スクィーズ・ギターが彼のスタイルとなる。
彼のブルースは時代と共に洗練され、モダン・ブルースの誕生へとつながる。
48年頃メンフィスに移り、黒人経営のラジオ局「WDIA」の人気DJとなる。
B.B.のニックネームは「ザ・ビール・ストリート・ブルース・ボーイ」だった。
ところがたまたまB.B.がもらった手紙の宛名が「ブルース・ボーイ様」
と書かれていたことから、自ら「ビービー」と略し、まもなく「B・B」と名乗る
ようになった。
64年、シカゴの「リーガル・シアター」でのライヴを収録したアルバムは、
当時のベスト・アルバムと賞賛を浴びる。
70年には「ザ・スリル・イズ・ゴーン」が大ヒットし、ブルースのキングとしての
地位を不動なものとする。この曲でグラミー賞を受賞。

<03.11.10>