エルヴィスとジェームズ・ブラウン


「この本、良かった・・・  エルヴィスもでてきたよ!」
と薦められた本のタイトルは「俺がJBだ!」
「JB」とは、ソウル、ファンクの神様ジェームズ・ブラウンのことで、
つい先日来日して、東京、福岡、大阪、名古屋、北海道とツアーを行ったばかりだ。
70歳という歳を感じさせない強靭なパワーの源は何なのか?
この本を読むとそれが手にとるようにわかる。

この夏公開された映画「ゲロッパ!」は、JBに憧れるヤクザの親分が主人公で、
ユーモアたっぷりの心温まる話らしい。

「ザ・ゴッドファーザー・オブ・ソウル」と呼ばれ、
世界を震撼させたエンター・テイナーの一人である彼が、
エルヴィスとのことを書いている・・・
この本を読みたい、読まなくてはという気持ちになってきた。

ジェームズの生い立ちから始まる彼のライフ・ストーリーを読むと、
いかに彼が音楽、特にゴスペルに救われたかということがわかる。
少年時代を送った家は売春宿で、
ギャンブルや密造酒の世界が彼の生活を取り巻いていた。
街のチビッコ・ギャングの一員で、一目おかれていたジェームズは、
学校の外ではいろいろな仕事をする。
山ほど靴を磨き、食料品を配達し、綿を摘み、ピーナッツを摘み、
砂糖キビを刈ったらしい。
「綿摘みは’つらい’の一語に尽きた」という言葉が胸につきささった。
そしてみすぼらしい服装を学校で注意され、
それが原因で窃盗をするようになり3年ほど服役。
でもなぜ彼が立ち直れたのか?  彼には音楽があったのだ。
彼の偽りのない言葉は真に迫るものがある。
ショー・ビジネスの世界が赤裸々に書かれていて、思わず息を呑んだ。

やがて、ジェイムズがエルヴィスと会う日がくる。
ジェームズにとってエルヴィスは、肌の色は違っても、
心が通い合うかけがえのない友人だったのだ!
二人きりでゴスペルを歌った時、言葉なんていらなかった・・・
彼のエルヴィスへの深い想いは、この本で初めて語られたのかもしれない。

★俺がついにエルヴィスに会ったのも、
確かこの西海岸でのツアーの時だった。
俺たちはお互いに業界の共通の友人を通じて連絡を保っていたが、
実際に会ったことはなかった。
彼は二、三度俺のショーを見に来てもいた。
変装して、会場のライトが暗くなってから中に入り、ショーが終わる直前に会場を出た。
ニーリーさんからエルヴィスが来ていたと聞かされた。
それに、エルヴィスが「T・A・M・I・ショー」を何度も繰り返し見ているのも知っていた。

<ハイアット・コンティネンタル・ホテル>かどこかで、
エルヴィスが主催した大きなパーティーがあって、
その終わり頃に客をみんな部屋から追い出して、俺とエルヴィスは二人でゴスペルを歌った。
二人で「オールド・ジョナ」「オールド・ブラインド・バルナバス」といった、
俺が子供の頃から歌っていたゴスペルを片っぱしから歌った。
エルヴィスはゴスペルのハーモニーも知っていた。
黒人霊歌を歌ったり、ゴスペルのかなりアップ・ビートな曲を歌ったりしたんだ・・・
それが俺たちのコミュニケーション方法だった。

エルヴィスは俺のバンドをレコーディングに使いたいと言った。
ホーンやなんかをバックにおいて、
バック・バンドを力強いものにしたいとのことだった。
エルヴィスは最初B.Bやなんかのコピーから始めたが、
結局そこには彼の求めるだけのパワーはなかった。
だから、エルヴィスは独自の音楽を追求しはじめた。

エルヴィスは偉大だった。
世間は今だに彼が真似をしている、と言っていたが、
エルヴィスには独特のスタイルがあったんだ。
エルヴィスはロカビリーだった。
彼はロックンロールじゃなく、ロカビリーだった。
実際にはブルースを学んだヒルビリーだったんだ。

白人が黒人の音楽を学んでいるのに文句をつける輩がいつもいる。
俺たち黒人が、ある分野の音楽を独占してきたのは事実だが、
誰にだってこれを学ぶ資格はあるんだ。
盗むべきじゃないが、これを学び、演奏する資格は誰にでもある。
片方に偏ってみたってしようがない。
人に教えるってのは、誰に教えるのも同じことだからな。
ただし、誰かから学んだ時には、
教えてくれた人が最高の友だということを忘れないことだ・・・

エルヴィスと俺は二人して1956年という同時期にヒット・チャートに登場した。
彼は「ハウンド・ドッグ」で俺は「プリーズ」だ。
だがロサンゼルスでのその夜の俺たちは、
単に自分たちが聴きながら育った歌を歌う、二人のカントリー・ボーイ(田舎者)だった。
エルヴィスの歌は彼独自の歌い方で、力強い霊的な感じにあふれていた。
俺たちはその夜長い間二人で歌いつづけたよ。

★1977年8月にエルヴィスが死んだ時、
俺は自分の先行きが見えたような感じがした。
なぜか、エルヴィスの死はひどくショックだった。
俺たちはいろんな点でよく似ていた・・・
どっちも田舎出身の貧しい少年で、ゴスペルとR&Bを聴いて育った。
「ハウンド・ドッグ」と「プリーズ」は同じ年に発売された。
彼は長年ハリウッドに住み、それから俺と同じように故郷に戻り、
自分を保とうとした。
しかしなぜだか、彼の場合はうまくいかなかったけどな。
周りの人がいつも隔離してたんで、
彼は外に出て人と一緒にいることができなかったんだ。
俺は彼が貧しい少年だったことを知っているし、
二度と貧乏に戻りたくなかったことも知っている。
貧しいと、心の中にサバイバル精神を持つもんだ。

彼が死んだ時、俺はこう言った。
「あれは俺の友達だ。行かなきゃな。」
その夜のうちにグレースランドへ行った。
群集がすでに門の周りにたかりはじめていた。
テネシー州民生局の役人たちが、俺を車に乗せ、
誰にも見られないように中に入れてくれた。
俺はプリシラと彼の娘に会い、
それから、エルヴィスの側近の一人で16年来の友人に会った。
俺はエルヴィスの父親に、
彼を慰めるため、何か俺にできることはないか、と訊いた。
しかし、蓋の開いた柩のそばに寄った時、
慰めを必要としていたのは俺だった。
俺は彼の胸の上に手を置き、涙を流しながらこう言った。
「この野郎、どうして俺を置き去りにしやがった?
なんだってこんな目に合わす? どうして逝っちまったんだ?」
変な話だが、死んだ人間に触れたのはそれが二度目だった。
あの偉大な、偉大な才能がもったいないと思い、
自分の人生はどうだろう、なぜ何もかもうまくいかないんだろう、と考えずにはいられなかった。
その頃は、まるで出口が見つからなかった。
ちょうどエルヴィスが、死ぬ以外に出口をみつけられなかったように・・・
<ジェームズ・ブラウン>

ジェームズ・ブラウン:James Brown
1933年、サウス・カロライナ州バーンウェル生まれ。
子供時代から地元の「アマチュア・ナイト」で歌い優勝を重ねるが、
15歳で服役。出所後、デビュー作の「プリーズ・プリーズ・プリーズ」が
ヒットし、黒人だけでなく白人にも人気のあるエンター・テイナー
として国内外の音楽に影響を与える。