ジュニア・ウェルズとバディ・ガイ


確か1987年頃だったと思います。
ジュニア・ウェルズとバディ・ガイが日比谷野外音楽堂での
「ブルース・フェスティバル」に出演するため、来日しました。
私はバンド関係の友人達とそのライヴを観にいき、
大いにシカゴ・ブルースを堪能。
二人共50代になっていましたが、その迫力は今でも胸に焼き付いています。

学生時代はよくジュニア・ウェルズも聴いていて、ライヴでも演奏しました。
仕草や表情に彼独自のスタイルがあり、奔放で心情を吐露するような歌い方と
ブギーするハープの音色が一体となってこちらに押し寄せてきて、
ついまたビデオを巻き戻してそのパフォーマンスを観てしまいます。
特に1970年代前半にNHKで放送されて(その時のタイトルは「黒人の魂 ブルース」)、
多くの日本人ブルース・ファンを生み出したという
幻のドキュメンタリー・フィルム「シカゴ・ブルース」に登場するジュニアを、
「一見の価値あり」と思っているのは私だけでしょうか・・・
この中に出てくる大御所のブルース・マンはマディ・ウォーターズ、
ジュニア・ウェルズ、そしてバディ・ガイ。
バディがいい気持ちでソロを弾いているのに、
ジュニアは11小節目でいきなりギターのネックを抑えてソロを止めてしまいます。
その時のジュニアの表情といったら・・・
あまりにもインパクトがあって、爆笑しました!!
バディのギターも情熱的で、いいアジ出しています。
この二人は以前、マディのバックでも演奏していて、
その後独立してコンビを組みました。
バディ・ガイはジュニアの元でもバックとしての心得を十分持っていて、
それがこのコンビを一層引き立たせているといった感があります。
もしかしたら、バディは素晴らしい人柄の持ち主かもしれません。

1940年代からシカゴにはメンフィスとは比較にならないほど多数のナイト・クラブや酒場が連立し、
毎日のようにそこでミュージシャン達が腕を競い合っていたそうです。
彼らは自分の音楽の感性を磨くために、仕事が入っていない日はクラブのハシゴをして、
ライバルや無名のミュージシャンのライヴを聴きに行ったということですから、
「切磋琢磨」は音楽の世界にも必要なのだと痛感しました。

今の日本は衣食住に恵まれていて、子供の時から欲しいものはすぐ手に入ります。
楽器に関して考えるならば、苦労せず、気がついたら親が用意してくれているというのが現状。
だからジュニア・ウェルズが小さい時、どのような思いでハープを手に入れたか、
バディがどうやって自分の最初のギターを手に入れたかという話を聞くにつけ、
もう彼らのようなタイプのミュージシャンはこれから先現れないだろうなと思ってしまいます。
彼らは「音楽」に人生を捧げた・・・
二人が陶酔しながら演奏している様子を観ていると、
それが苦しいくらいに伝わってきます。


★ガキの時、メンフィスのランブリング・レコーズっていうラジオ局をよく聞いた。
ジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズ、初期のウルフなんかをね。
おれが聞いてたのはシカゴの音楽だった。

おやじはルイジアナの百姓だった。ひでえ時代だったぜ。
エアコンはおろか、何もありゃせん。
だから、おふくろがドアに張った虫除けのスクリーンを拝借してギターの弦にしたんだ。
そして灯油缶に棒を突っとおして、弦を張るわけだ。指を置くこともできねえ。
ただバンバン叩くだけさ。それを見ていたおやじたちは、
ギターがあったら練習するだろうって話し合って、
おれが16の時親戚の中古ギターを買ってくれた。
弦がふたつあるやつで何ドルもしなかった。

波乱万丈ってのは、おれの人生のことをいうんだ。
家を出て、姉貴と1年ほどふたり暮らしで高校に行ってたんだが、
その頃よくポーチに座ってオンボロ・ギターを弾いてた。
ある金曜の午後、知らないおっさんが通りかかっておれにこう声をかけた。
「何日かギターを弾いているのを見かけるね。
あたしゃお前さんのこと知らんが、新しい弦とか要るんじゃないか?
新しいギターがありゃ、ちゃんと弾けるのにな。」
「そうしたらどうしよう。毎晩、抱いて寝て、ぜったい放さないね。」
「よし、明日もここに座っとれよ。新しいギターを買いに行こう。」
「わかりました。」
翌日おれは言われた通りにした。
そしたられいのおっさんが来た。
町までついていったら、おっさんが新品のギターを買ってくれて家まで送ってくれた。
姉貴が帰ってきてから乾杯して、みんなで盛り上がったさ。
あの日からおっさんに会うことは二度となかった。
あのギターは52ドルもしたんだ。当時はそれは大金だ。
何とかおっさんにお目にかかりたいものだ。

おれは両親を説きふせてシカゴに行くことにした。
スーツケースふたつとギターを持って、列車を降りたひとりぼっちのおれは、ただ歩いた。
喰いもんもなしに3日間もな。
もう泣きたくなったよ。そんなときだ。
知らねえやつがおれに向かってこう言うんだ。
「ギターを持っているようだが、弾けるんかね?」
「ハイ」
「何か演ってくれたら酒を飲ませてやろう。喰いもんは買わん。
どっからきたか知らんが、酒を飲むんだ!」
おれは泣きそうになりながらも、かばんを担いだ。
こんなおれの姿を見たらおふくろは心配するだろうなと思いながら・・・

・・・やつは言ったよ。
「いやいやおったまげた。誰かに聞かせたいもんだぜ。」
おれたちゃ数ブロック離れたクラブまで歩いてった。
その晩はオーティス・ラッシュが演ることになってた。
そいつはオーティスと知り合いだったんだ。
そん時、クラブのオーナーが売上金を取りに来てたんだが、
おれは彼の出がけにギターを弾いた。
オーナーはひき返してマネージャーを呼んでこう言った。
「あいつが誰だか知らんが、3晩ほど演らせてみろ。」
マネージャーはおれに言った。
「火曜、水曜、木曜に来い。おまえバンドは持ってるか?」
「もちろん持ってます。」  嘘だった。
・・・2日目の晩、客を見渡すと、マディ・ウォーターズやリトル・ウォルターがいた。
「参ったな。どうしよう?」良いとこ見せなきゃならんのはわかってた。
あんな人たちを見た以上、ルイジアナにゃ帰れねえからな。
<バディ・ガイ>



ジュニア・ウェルズ:Junior  Wells
1934年テネシー州メンフィス生まれ。本名、エイモス・ジュニア・ウェルズ。
母親はゴスペル歌手。シカゴには46年頃やって来て、50年代には
リトル・ウォルターに代わって
マディ・ウォーターズのバンドにハープ奏者として加入し、頭角をあらわす。
60年代はバディ・ガイと強力なコンビを組み、人気を博す。
二人は息もピッタリ合い、オープンな関係を築きあげ、
映画「ブルース・ブラザーズ」のモデルにもなった。
75年初来日。98年にシカゴで永眠。

バディ・ガイ:Buddy Guy
1936年ルイジアナ州レッツワース生まれ。本名、ジョージ・ガイ。
ギタリスト兼ヴォーカリスト。B.B.キングのギター・スタイルでデビュー。
57年にシカゴに来て、いきなりマデイに仕事を貰うという幸運に恵まれた。
彼のギターはパワフルで、ヴォーカルからは悲痛な叫びを感じる。