エルヴィスとブルース〜「革命」


アメリカで発行された雑誌「ELVIS」(’95)の中に、
「COMMONLY ASKED QUESTIONS ABOUT ELVIS」という項目があった。
トップの質問が「Who were Elvis' favorite musicians?」で、
「His favorite musicians were Howlin' Wolf, Muddy Waters(both Blues singers)・・・・・・」と記してある。

エルヴィスがどんな歌手の歌を熱心に聴いていたか、非常に興味がある。
カントリー、ゴスペル、ブルース、R&B、ポップスなど様々なジャンルの歌を聴いてきたからこそ、
エルヴィスの「唯一無二」の歌声が生まれたわけだ。

ブルースやR&Bに焦点をあてるならば、
彼が生まれ育った環境を考えあわせるべきであろう。
逃れようのない貧困、貧しさに対するいじめ、幼い時の父親の投獄、
母親の溺愛からくる過干渉、父親不在の家庭、
学校に行きながら家計を支えるために寝る間も惜しんで働いた経験などを考えると、
彼が歌手としてデビューするまでの人生は苦労の連続だった。
そうした苦労がよりブルースという音楽に彼を近づけるきっかけとなったかもしれない。
なぜなら、奴隷として不当な扱いを受けたり、
苦しく辛い仕事や生活を余儀なくされた黒人達が創造したこの音楽には、
それらの苦痛を和らげる不思議な魅力があったからだ。
心の底から湧き出てくるものが歌になり、強烈なインパクトとともに、
それをストレートに表現できる黒人達の鋭い感性。
歌い手も聴き手も、その飾り気のないエモーショナルな音楽に陶酔する。
その「陶酔感」、いわば「浸りきる」ことで、
心からモヤモヤしたものや苦痛が取り除かれ、心は軽くなる。
私なりにブル−ス音楽をそうとらえている。

エルヴィスは黒人居住区の近くに住んでいたため、
ブラック・コミュ二ティーで成立したブルースという音楽に早くから接し、
白人の音楽にはない激しいビートや解放感、
その音楽が醸し出す独特な雰囲気に惹かれていく。
彼は、自分で見つけ出した母親とは無縁のこの音楽に、
ゴスペルとはまた違った意味で、
心のよりどころとなる何かを感じ取ったはずである。

テュぺロ時代、母親にギターを買ってもらったエルヴィスが、
盛んにラジオで聴いたり、コピーをしていたのは
大好きなカントリー・シンガーの曲と、
ビッグ・ビル・ブルーンジー、B.B.キング、アーサー・クルーダップ等の
ブルース・シンガーの曲であった。
厳しい人種差別の中、
ほんの一部の白人が黒人の音楽を隠れて聴いていた時代に、
きっとエルヴィスは堂々とみんなの前で黒人音楽の曲を弾き語っていたにちがいない。

ファッションに関しても同じことが言える。
メンフィスに移り、クルー・カットが流行っていた時に、
ひとり長い髪の毛を後ろになでつけ、
ビール・ストリートにある黒人御用達のお店で、
奇抜な色の服を買っていたエルヴィス。
ひと一倍シャイで、礼儀正しく、抑制のきいた少年は、
自分の好きな音楽やスタイルには強いこだわりを持ち、
まわりの目などは気にせず、自らの信念を貫き通した。

高校を卒業してトラックの運転手をしていた頃、
「サン・レコード」のサム・フィリップスに呼ばれて、
エルヴィスは希望に胸を膨らませて録音することになる。
しかし、どの曲もうまくいかず焦りと不安が彼に重くのしかかってきた。
休憩時間にコークのビンを手にし、意気消沈して座っていたエルヴィスは、
突然ギターを手にし、飛び跳ねるように身体を揺すって激しく歌い出す。
アーサー・クルーダップの「ザッツ・オール・ライト・ママ」だった。
エルヴィスはこのブルース・シンガーの曲をかなり歌い込んでいたらしく、
歌詞や曲も自分なりにアレンジして歌った。
エルヴィスがカントリー調のスタイルに黒人のリズムを織り交ぜ、
強力なブルース・フィーリングでこの曲を歌ったのを聴いて、
一番ビックリしたのはサムである。
「まさかエルヴィスがこの曲を知っていたとは驚きだった。」と後のインタビューでもこたえている。
「ザッツ・オール・ライト」は早速録音され、
「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」とのカップリングで、
1枚のアセテート盤としてサムの手によって作られた。

この歌はすぐにラジオで流され、5000本にも及ぶリクエストが殺到。
白人として、実質的に初めてブルースを歌ったのはエルヴィスだった!


★黒人達は、今、僕がやっているように歌い演奏してきたんですよ。
僕にもわからないぐらいずっと長い間。
彼らはそんな風な演奏を、
掘っ立て小屋とか音楽酒場みたいなところでやっていたのです。
そして、僕がそれを取り上げ、はやらせるまで誰も注目しなかったんです。
つまり、僕は彼らから学びとったわけです。
ミシシッピー州テュぺロで、僕はアーサー・クルーダップさん
(「ザッツ・オール・ライト」を作ったミシシッピーのブルース・マン)が、
僕が今やっているようにギターを叩くのをよく聞いたものです。
そして、アーサーさんが感じたもの全てを僕が感じられるような境地にたどり着ければ、
誰もかつて見たことがないような音楽家になれるだろうと考えたのです。
<エルヴィス・プレスリー/1956年・21歳>

今でこそ黒人音楽は誰でも聴くことができ、その真価が認められている。
だが当時のアメリカで、白人がこの音楽に憧れ、その素晴らしさを認めるには、
時代や人種、価値観の壁を超越する「卓越した感性」が必要だった。
エルヴィスにはそれがあったのだ。
いいものはいいと素直に感じ、それを難なく取り入れることができる心の自由と懐の広さ。
それだけにとどまらず、彼には黒人音楽を広めるだけのルックスと
それを自然体で表現できる歌の才能があった。
あの時代のアメリカで、黒人の魂に寄り添いブルースを捉えようとした、
エルヴィスの存在自体が「奇跡」のように思えてならない。

白人でありながら、その価値を理解するエルヴィス以外に、
誰が黒人音楽を紹介できたというのか・・・
エルヴィスが、音楽に対してここまで鋭いカンを持っていたのかと思うと、
ただただ驚嘆するばかりである。

私もブルースが好きである。
だからといって私には辛い「ブルース体験」と呼べるものがない。
でも黒人の歌声や演奏には深い魅力を感じる。
その魅力はどこからくるのだろう・・・
エルヴィスが言うように、それは黒人達の鋭い感性からくるものかもしれない。
その感性がとらえたものがストレートに音楽で表現され、聴く者に何かを訴える。
でも、歌い手は意図的に何かを伝えようとしているのではなく、あくまでも
心から自然とあふれでてくるものを全身で表現しているだけだ。
こうした感性を自分の中にも育むことができる境地に達したら、どんなに素晴らしいことだろうか
とエルヴィスは思ったにちがいない。
彼の言葉に心から共感できるものがあって、とても胸が熱くなった・・・

カムバック・スペシャルで、エルヴィスがジミー・リードの
「Baby What You Want Me To Do」を歌うシーンがある。
そのギターのかき鳴らし方、目つき、表情、力強い歌い方に
エルヴィスの身体にしみついたブルースへの熱い想いを感じた。
一瞬のうちにその歌にあった雰囲気を醸し出し、その世界へ入っていけるエルヴィス。
甘い声でバラードを歌うエルヴィスには誰もがうっとりし、安らぎを得る。
エルヴィスのエモーショナルな歌声を聴いたり、パフォーマンスを観ていると、
人々は心を動かし、感情を揺さぶられる。
本人はただ感情の趣くまま自然に歌っているだけなのに・・・
きっとエルヴィスは「アーサーさんが感じるところの境地」というものを実感できたのかも
しれないと思った。


★ロックやその他の音楽は、その木から生えている枝といってよい。
すべてはブルースが根元になっている。
多少の装飾がかかっているが、もとは同じ音楽なのだ。
<ジョン・リー・フッカー>

★仕事は製紙工場だった。コンテナ作業でな。
昼間は仕事。週末はハウス・パーテイーで演奏。 弾き語りでね。
それがだんだん広まってミシシッピからきた上手な奴がいるって評判になった。
「若きブルース・シンガー」と呼ばれたもんさ。
シカゴ・ブルースとくれば俺だね。
シカゴにリアル・ブルースを打ち立てたのは俺だからさ。
俺みたいに歌うには・・・・・・相当苦労しないとダメだ。
朝起きて、通りを歩くだけで何でも手に入ると思ったら大間違いだぜ。
俺やライトニン・ホプキンスやジョン・リー・フッカー
それに親友のB.B.キング
あいつはアーバン・ブルースで俺のよりちょっと高級だけど
でもいいディープ・ブルースを歌ってる。
それと教会に行って、あんたのソウルにあの特別なフィーリングを
注入しないとな。
<マディ・ウォーターズ>