マディ・ウォーターズ〜シカゴのボス


マディ・ウォーターズの写真や映像・歌声は、どれをとってもただならぬ迫力があり、
内面からあふれでてくる男の「自信」や「威厳」を感じる。
マディを慕う白人にとっては父親的存在であったが、
私からみれば泥臭さと男っぽさを全身からにじませて、
シカゴ・バンド・ブルースを作り上げた「ビッグ・ボス・マン」である。

マディの本名はマッキンリー・モーガンフィールド。
子供の頃、近くの小川で泥んこになって遊んでいたため、
「マディ・ウォーターズ」(泥水)というあだ名が付けられた。
これをそのまま芸名にしてしまうところに、
マディの気の強さと自由な奔放さが象徴されていると思えてならない。
テレキャスターを抱えて、渋く力強い声でブルースを歌う彼の身体には、
他のブルース・マンには感じられない、一種独特の「気」がみなぎっている。
彼の代表曲のひとつである「ローリン ストーン」(風来坊という意味)から
バンド名をとったイギリスのロック・バンド「ザ・ローリング・ストーンズ」は、
今でも絶大な人気を誇っている。

マディはチャーリー・パットン、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンなどをアイドルとしたが、
デルタに限らず、近所の友人が持つ蓄音機から流れてくる
全米中のブルース・スターの曲に一心に耳を傾けた。
彼が故郷のミシシッピ州を離れて、シカゴに移住したのは28歳の時。
そこで、マディはトラック運転手などをして働きながら、
自分の音楽を粘り強く追求して、黒人スラムのあちこちにある小さな酒場で演奏する。
そして幾多の不運に出会いながらもレコーディングにこぎつけ、
ようやく「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」と「アイ・フィール・ライク・ゴーイング・ホーム」で成功を手にした。
これがリリースされたのが1948年。
タフなマディ・サウンドの特徴は、デルタ・ブルースのフィーリングを残しながらも
ドラムス以外の全ての楽器にアンプを使って大音量で演奏したことだ。
これは、それまでにはなかった画期的なサウンドであった。

マディの「ガット・マイ・モジョ・ワーキング」には、文句なしのカッコよさがある。
彼のマッチョな歌声とバック・バンドが作り出すサウンドには、
壮絶なまでの「グルーヴ感」がみなぎっている。
スロー・ブルース、「フーチー・クーチー・マン」もそうである。
マディの音楽は、ほかの誰にも作り出せないものだと確信させられる。

エルヴィスはこの「ガット・マイ・モジョ・ワーキング」をカヴァーして、
1971年にリリースした。
エルヴィスはこの曲を聴いた時、マディの歌声にシビれたに違いない。
それはエルヴィスがこの歌を歌っている時の、意気込みからそう感じるのだ。
しかし、エルヴィスは決して真似などしない。
自分なりの解釈で、その世界に入り込み、ハイ・テンションで歌っている。
エルヴィスの歌声には、黒人なみの「グルーヴ感」「ドライヴ感」があり、
それがこの曲でも最大限、発揮されている。

マディは、自分がプランテーションで働いていた頃に惹かれた「ブルース」に正面から向き合い、
そのメッセージを情熱を持って人々に伝え続けた。揺るぎのない「信念」を持って。
彼の作り上げた「シカゴ・バンド・ブルース」がその後の音楽シーンに多大な影響を与え、
新たな道へと導くきっかけを作ったのだ。


★おれがブルースを歌うとき、本物のブルースを歌っているとき、
おれは心に感じたままを歌ってるだけなんだ。
ひょっとしたら笑うやつがいるかもしれない。
おれは口べただから、わかってもらえないかもしれない。
だけど、おれたちがブルースを歌う時、おれがブルースを歌う時、
それは心の底から湧き出すんだ。
ソウルそのもので感じることを歌っていれば、それがひとりでにあふれてくるんだ。
言葉だけじゃないんだよ。
自分の中からとめどなく噴きだしてくるんだ。
顔をしたたり落ちる汗と同じなのさ。 
<マディ・ウォーターズ>

★おれたちがマディに初めて会ったとき(1964年)、
あの人はチェスのスタジオでペンキを塗ってたんだ。
ブルースのメッカ、チェスでありがたくもレコーディングさせてもらったんだぜ。
そこへ、白いオーヴァーオールを着てハシゴに乗っかってるおっさんを紹介されたんだ。
「誰だ?」って見たら、マディ・ウォーターズだったのさ。
レコード作らないでペンキ塗りたぁ、そりゃないよな。
しかもいい人だったんだ。
おれたちなんか見下されても仕方ないなって思ってたが、
みんな揃いも揃ってジェントル・マンだったぜ。
ジョン・リーなんか「へぇ、おれたちのこどもが白人とはね!」だとさ。
彼らはおれたちを育んでくれた。
ジェントルマンで、おれたちを音楽業界より幅広い視野で見てくれた。
すぐに受け入れてくれた。
<キース・リチャーズ/ローリング・ストーンズ>

マディ・ウォーターズ:Muddy Waters  
本名、マッキンリー・モーガンフィールド
1915年ミシシッピ州ローリング・フォーク生まれ。
30年代からギターを抱えて歌いはじめ、41年42年に国会図書館
のために録音。43年にシカゴへ移り、シカゴ・バンド・ブルースを
確立させていく。60年代からは白人ロック・ミュージシャンから
「親父」と慕われ、共演を重ねる。
80年に来日し、83年にイリノイ州で死去。