エルヴィスとロバート・ジョンスン

午前中、久しぶりにゆっくりできる時間が持てたので、
エルヴィスの曲を集めたMDを聴いてみた。
50年代から70年代まで30曲ほど入っている。

最近ロバート・ジョンスンを聴いてその音楽性に感動したばかりなので、
エルヴィスの歌声がまた違ったものとして耳に響いてくるものなのか・・・
そんなことを思いながら聴いてみた。
やはり、声質にホッとする安らぎを感じ、
エルヴィスにしか作れない世界というものに再び胸を打たれた。

しかし、何かジョンスンと共通点がある・・・
それは、ジョンスンが抑えきれない激しい感情を、
自由自在に声のトーンを操り、思いのままに表現したという点である。
エルヴィスもまた、声にさまざまな表情があり、心を込めて全身全霊で歌った。

ジョンスンはブルース歌手だったが、放浪しながらこなしたギグの中で
ヒルビリー、ラグタイム、ポップス、ワルツ、ポルカも多数演奏したということである。
カントリー・シンガーのジミー・ロジャーズの曲は、数え切れないほどとりあげたらしい。
ラジオから流れてくる音楽を、友人と談笑して聴いていたにもかかわらず、
全くその通りに演奏してしまうジョンスン。
音楽に対する素晴らしい吸収力と、ジャンルにこだわらない柔軟性もエルヴィスと似ている。

そのジョンスンが、あるミュージシャンから影響を受けて作った曲が
「ダスト・マイ・ブルーム」と「スウィート・ホーム・シカゴ」である。
あるミュージシャンとは、ブルース・シンガー、ココモ・アーノルドだ。
彼はスライド・ギターの名手で、歌声とギターの奏法にジョンスンと同じものを感じる。
アーノルドが作った彼の最大のヒット曲「ミルクカウ・ブルース」は
エルヴィスも「ミルクカウ・ブルース・ブギー」というタイトルでサン時代にカヴァーした。
弱冠19歳の時である。
きっとエルヴィスが、このブルースを日頃から好んで歌ううちに、
自らの感性が盛りこまれ、新しい曲としてうまれかわったのだろう。
ジョンスンも「ミルクカウズ・カルフ・ブルース」という曲を吹き込んでいる。
内容は、移り気で気まぐれな女性を「乳牛」に見立て、
俺のそばにいてくれと懇願する歌だ。

今、私の頭の中で、もつれていた糸が少しだけほぐれてきた。
エルヴィスはシカゴ・バンド・ブルースを作り上げたマディ・ウォーターズが好きだった。
そのマディは、ロバート・ジョンスンの音楽に惚れこんだ弟子の一人である。
そして、ジョンスンが影響を受けたアーノルドの曲を、エルヴィスも耳を傾けて聴いていた。
エルヴィスがロバート・ジョンスンの音楽に触れていたかはわからないが、
少なくとも間接的なつながりはあったにちがいない。

エルヴィスは自分の歌を吹き込む18歳の時までに、
ジャンルを超えて莫大な数の曲を耳にし、それを吸収していた。
聴いた曲はすぐ覚えるという、ジョンスンと同じ才能がないと
短期間の間にそれらを蓄積することは不可能だろう。
「サン・レコード」の設立者、サム・フィリップスのもとを訪れた時のエルヴィスの身体の中には、すでに新しい音楽は宿っていた。
数えきれないミュージシャンの音楽がインプットされていて、
それを彼のオリジナリティーが、一つ一つの点を線で結び、
全てを融合していたのである。

あとはそれをとりあげてくれる人を待つばかりだった。
「メンフィス」という場所で全てが始まったのだ!

Kokomo Arnold