モハメド・アリA〜「生い立ち」


モハメド・アリがイスラムに改宗(1964年)する前の名は
カシアス・マーセラス・クレイ二世であった。
「クレイ」とは「粘土」や「土」という意味で、
先祖が奴隷時代に主人からつけられた名前らしい。

父親のカシアス・マーセラス・クレイ一世は看板描きで、
母親のオデッサ・グレィディ・クレイは
子供達が小さい頃、女中をして家計を支えていた。

オデッサを見るとすぐ気がつくのだが、肌の色が夫や息子達と違う。
彼女の祖父の一人は白人男性と奴隷黒人女性の間に生まれた子供で、
もう一人の祖父はアイルランドの血を引く白人男性と
自由黒人女性との混血である。
アリの母親のようにルーツは黒人でも、
白人やその他の民族との混血がすすめば
肌の色も黒褐色から明るい褐色へと徐々に変化していく。

モハメド・アリ(カシアス・クレイ二世)はそうした複雑なバックグラウンドを持って
1942年1月17日、ケンタッキー州ルーイヴィルで産声を上げた。
彼にはルドルフ・アーネット・クレイという弟がいて、
ルドルフものちにイスラムに改宗し、ラハマン・アリと改名する。

トマス・ハウザーが著した「モハメド・アリ〜その生と時代」を読んで察するに
両親の教育方針と母親の気質が
アリの人格形成に大きな影響を及ぼしたようだ。
アリの身にしみ込んでいる博愛主義は母親から受け継いだものなのだ。

「あの子はね・・・」とアリについてゆったりとした口調で語るオデッサは
朗らかな母性で満ちあふれている。
人間というのは成長する過程で愛情をたくさんもらえばもらうほど
それを他者に還元することができるのかもしれない。
しかし掛け値のない愛情を息子に与え続けたオデッサの子供時代は
両親の離婚も重なって貧しく辛いものだった。

叔母のところで育てられたオデッサは
自分の服を買うために幼い頃から働きはじめ、
やっとの思いで学校へ行っていた。
16歳の時、20歳のクレイ青年に出会い、その後アリが誕生。
オデッサは
「なぜ神様はあの子を生むのに私をお選びになったのでしょう」と謙遜するが、
オデッサには生来の優しさと人徳が備わっていたため
アリを慈愛に満ちた人格の持ち主に育て上げることができたのだろう。
そしてもう一つ彼女が道を踏み外さなかった理由として
キリスト教への絶対的帰依が考えられる。

アリは母親に対して以下のような賛美の言葉を送る。
「私の母はバプテストだが、私が物心ついてくるようになると、
神について知ってることをみんな教えてくれたよ。
日曜日になると、私に晴れ着を着せ、私と弟を教会に連れて行き、
自分が正しいと思う道を教えてくれた。
母は私達に人を愛し、すべての人に親切にするように教えてくれた。
偏見を持ったり、憎んだりすることは悪いことだと教えてくれた。
私は宗教を変えたし、その後は多少信念も変えたが、
母親の神がやっぱり神なんだ。私はちょっと呼び方を変えただけさ。
母についてはこれからずっと人に言ってきたことを言おう。
母は愛嬌があって太った素晴らしい女性だ。
料理し、食べ、服を作るのが好きで、家族と一緒にいるのが好きなんだ。
母は酒と煙草はやらないし、他人のことに干渉したり、
人に面倒をかけたりしない。
私の全人生で母親ほど私によくしてくれた人はいないよ。」

アリは現在の妻、ロニーと共に母親のオデッサをこよなく愛している。
オデッサはいつも息子の健康を気遣い、
広く大きな愛で彼を見守り続けてきた。
彼女の息子に対する信頼は神に対すものと同じくらい確かなものだ。

★あの子は自分に自信を持っていたし、
私にもあの子について自信を持たせてくれました。
あの子がボクシングを始めたのは12歳の時だけど、私たちが夜座っていると、
あの子はいつか世界チャンピオンになるんだとよく言っていたわ。
リングの上のあの子を見るのは心配だったけど
あの子は自分の身体の面倒は自分で見られるだろうと私は信じていました。
それから彼は『イスラム国家』(ブラック・モスレムの組織名)に加わりましたが、
そこは自由な国の人々だと思いました。
好きなように拝めばいいのですからね。
あの子がそうしたいのなら、それでよかったのよ。
肝心なことはあの子が神様を信じているということだったの・・・
<オデッサ・クレイ>

アリは12歳の時にボクシングを始めたが
そのきっかけは突然やってきた。
それは1954年10月、友人と二人で
年に一度開かれるルーイヴィルの黒人バザーに出かけた時のことである。
その時アリは赤と白の新しい自転車にさっそうとまたがり、
それをコロンビア公会堂の外にとめた後、
午後の時間をめいっぱい使って友人とフロアのキャンバス張りをした。
そして帰ろうとした時、大切な自転車がなくなっていることに気づくのである。

アリは気が動転してしばらく泣いていたが、
たまたまその公会堂の地下で警官のジョー・マーティンが
子供達にボクシングを教えていることを知り、
自転車が盗まれたことを報告しに彼のもとを訪れる。
ジョー・マーティンによると、アリはその時ひどく興奮しながら
「自転車を盗んだやつが誰だろうと
ぶちのめしてやる」と言って悔し涙を流したらしい。
それを聞いたジョーは即座に答えた。
「いいか、ぶちのめす相手に立ち向かう前に
喧嘩の仕方を習っておいたほうがいいぞ。」

これがアリとボクシングの出合いである。
今だにアリは「自転車を盗んだやつを見つけたらぶちのめしてやる」と
本気で言っているようだ。

アリは週の6日をボクシング・ジムで過ごすようになり
酒も煙草もやらずひたすら練習に励んだ。
アリには子供時代、友人達に自分の身体めがけて一斉に石を投げさせ、
それらを全てかわすことができたというエピソードがある。
彼はもともと優れた敏捷性と強靭なスタミナを持っていたため
ボクシングをやることでそれらの才能が見事に開花していった。
彼の夢は、両親のために家を買い、立派な車を手に入れ、
大物になることだった。

18歳の時までに108戦のアマチュア試合を行い
ケンタッキー・ゴールデン・グラブズ選手権に6回優勝。
ナショナル・ゴールデン・グラブズ・トーナメントでも2回勝ち
全米AAUタイトルを2度勝ち取り、
とうとう1960年のローマ・オリンピックでは金メダルを獲得した。
こうしてカシアス・クレイの名は一挙にアメリカ国民に知れ渡り、
王者『モハメド・アリ』への道を邁進することになる。

しかし一方で、喜びを胸にローマから帰国した後
アリを待ち受けていたものは厚い人種の壁だった。
故郷のレストランで食事をとろうとしたアリは、
店主に肌の色を理由に入場を断られたのだ。
彼はそのことにショックを受け、金メダルをオハイオ川に投げ捨て、
二度とそのメダルは彼の手元には戻らなかったのである。

★私の子供の頃には、
たいていの黒人は白人でいる方がましだと考えていた。
実際はどんなだったか私にはわからないが、
いつも私は私と同じ仲間の人々のために
何かをするために生まれてきたように感じていた。

8歳になり、10歳になると、私は朝の2時に家を出て、
空を見上げ、私に何をすべきか教えてくれる、
天使やお告げや神を捜し求めた。
答えは得られなかった。
私は星を見つめ、声を待ったが何も聞こえなかった。

それから私の自転車が盗まれ、そして私はボクシングを始めたが
ボクシングこそ私がやらなければならぬ義務だと
神に告げられているような気がした。
神が私達すべてをお造りになったが、
私達の一部の者を特別にお造りになったんだ。
アインシュタインは並みの人間ではなかった。
コロンブスは並みの人間ではなかった。
エルヴィス・プレスリーも、ライト兄弟もだ。
一部の人々は特別な能力を持っており、
神が他人より多くのものをお与えになったからには、
それを正しく使う責任があるのだ。
<モハメド・アリ>

<05・4・15>







12歳のALI





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